真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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1.『延命十句観音経』

原文
観世音 [かんぜおん] 南無仏 [なむぶつ]
与仏有因 [よぶつういん] 与仏有縁 [よぶつうえん]
仏法僧縁 [ぶっぽうそうえん] 常楽我常 [じょうらくがじょう]
朝念観世音 [ちょうねんかぜおん] 暮念観世音 [ぼねんかんぜおん]
念念従心起 [ねんねんじゅうしんき]  念念不離心 [ねんねんふりしん]

読み下し文
観世音 南無仏
仏と因あり 仏と縁あり
仏法僧と縁[えにし]て 常・楽・我・常(を得ん)
朝に観世音を念じ 暮に観世音を念じ
念念に心より起こせば 念念に心を離れず

現代語訳
観世音菩薩よ、仏陀に帰依します。
仏陀(が仏陀となったこと)にも原因があり、仏陀(が仏陀となったこと)にも条件がある。
(よって私も)仏・法・僧との縁によって、常・楽・我・常(という大いなる平安の境地、仏陀の悟り)に達しよう。
朝に観世音菩薩を念じる。夕に観世音菩薩を念じる。
この念は心から生起するものであり、この念は心から離れるものではない。

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2.解説

『延命十句観音経』とは

『延命十句観音経』とは、いわゆる「経典」ではありません。

「経典」とは、一定の形式に則って伝えられてきた仏陀の言行録であり、よって仏教における聖典です。しかし、この『延命十句観音経』は、末尾に「経」とはあるものの、仏陀の言行録などではありません。これが、人に知られるようになったいきさつからすると、いわば何処かの誰かの「個人的信仰告白文」とでも言ったほうが良いものです。

そして、たった十句からなる漢文であり、その文言もなにごとか核心に迫る、などと言ったようなものでなく、むしろ何を言わんとするものか正確に捉えがたい文言です。しかし、これは「個人的信仰告白文」であり、深い意味などないものだと考えれば、突き詰めて考える必要など無いものでしょう。

『仏祖統紀』

『延命十句観音経』について記されている最も古い文献は、中国にて西暦1269年に著された『仏祖統紀[ぶっそとうき]』という書物です。

これは、南宋の天台宗の志磐[しばん]という僧侶が、天台宗の立場から、釈尊をはじめとするインド・中国の高僧達の伝記や諸宗派の歴史を編纂したものです。全54巻という比較的大部のものです。

その中、巻36に「劉宋の元嘉二十七年(450)」の事として、以下のような話が載っています。王玄謨[おうげんぼ]という武将が、北方の征伐に失敗し、斬殺されるという日の前夜、「この『観音経』を一千回唱えれば、刑を免れるだろう」という夢を見、『観音経』を授けられます。王玄謨が、夢のお告げの通りにしたところ、刑執行の中止の報せがあったといいます。

ここでいう『観音経』とは、現在一般に流布している『法華経』の一章たる『観音経』ではなく、上記文言のものでした。もっとも、そこでは「仏法相縁」となっており、現在一般に流布しているものと「僧」の一字だけが違っています。(*「相」の字の方が意味がよく通るので、本来はこの字を使用した方が良いでしょう。)

巻37にも、東魏の時代(534-550)の孫敬徳[そんけいとく]という人について、上の話とほぼ同様の話が載っています。さらにまた、巻53には、ある女性が失明してしまって失意の中にあるとき、夢に在家の人が現れて『十句観音経』を唱えるようにとのお告げがあった話が載っています。その女性は、その人のお告げ通りに唱えると、その両目はふたたび光を取り戻したといいます。

『延命十句観音行霊験記』

江戸中期に活躍した、臨済宗の白隠[はくいん]禅師(1686-1769)という僧侶がいます。禅の教えを、庶民に平易に説いて廻ったことで知られ、今でも白隠禅師の徳を慕う人は多いようです。この白隠禅師の著書に、『延命十句観音経霊験記』があります。白隠禅師は、この書の中で、日本で『延命十句観音経』が広まったきっかけとして、以下のような逸話を記しています。

寛文年間の頃(西暦1663年頃)、第百十二代天皇(霊元院法皇)が、天台宗の霊空光謙[れいくうこうけん]という僧侶に対し、仏典の中で功徳のある経典を選び出すことを命じます。そこで霊空が選び出したのが、『十句観音経』であり、以来日本でこの経典が盛んに読誦されるようになったというのです。

もっとも、『仏祖統紀』にはなかった「延命」という文字を付け加えたのは、白隠禅師です。白隠禅師は、『十句観音経』が「経典」ではない事を充分知っていました。しかしながら、古来数々の霊験があったと伝わるのだからと、人々に読誦を勧めたようです。

むしろ、白隠禅師が『霊験記』を著したことによって、『延命十句観音経』は世間に知られ、親しまれるようになりました。現在も、臨済宗を始めとし、様々な宗派の在家の人によって唱えられています。

霊空光謙

蛇足ながら、白隠禅師が採り上げた霊空光謙という人は、江戸時代初頭、天台宗で戒律復興運動をした僧侶です。平安時代以来、天台宗は正統な僧侶の規律である「律」を捨ててしまい、仏教の正式な僧侶を生み出すことが出来なくなり、また天台宗という組織を律する、仏教教団としての正統な典拠を失っていました。

鎌倉時代、天台宗から、法然の「浄土教」や日蓮の「法華教」など、仏教から逸脱した思想を唱える人々が出ていますが、彼らが律を捨ててしまっていたことを、その一因と見ることが出来ます。

また、それから江戸期に入るまでの天台宗は、信長に焼き討ちされるのも無理はないほど、その教義は「中古天台」と言って堕落の極致というべきところまでいっており、またあり方においては教義以上に酷い有り様となっていました(他の諸宗も、そのあり方において相当ひどかったようですが…)。霊空は、これを刷新せんと律を学び、みずから律を受け、天台宗の戒律復興運動を始めたのでした。

この運動は当初、比叡山に「お祖師様の言われたことと違う」などと律を守ることに反対した保守派と、大論争を巻き起こし、「安楽騒動」という一大事件にまで発展しますが、結局明治維新まで律を受けて守ることは持続。しかし、明治以降はまた「元通りの比叡山」にもどったのでした。

沙門 覺應

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