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‡ 尊者の生涯(解題・凡例)

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1.解題

『正法律興復大和上光尊者伝』とは

ここでは、江戸時代中期に戒律復興を志して大阪・京都を中心として活躍された慈雲尊者が、一体いかなる生涯を送った人であったか、またいかに偉大な事跡の数々を残した人であったかを世間に少しでも広く知らしめるため、尊者の伝記『正法律興復大和上光尊者伝』を紹介しています。

現在、慈雲尊者その人や生涯についての書籍は、諸学者が著したものが、若干ながら出版されています。それらのほとんどは、この『正法律興復大和上光尊者伝』という尊者の伝記を基礎資料としつつ、その他の尊者の著作を用い、さらに著者自身の研究成果から私的見解をふんだんに盛り込んでいるものです。それらには、少なからず学術的にも読み物としても優れたものがあります。しかし、まずは直接その伝記すべてに目を通すのが一番です。

尊者の生涯と事績が簡にして要をとり、しかも尊者に対する敬意に満ちた言葉によって綴られた、『正法律興復大和上光尊者伝』は、慈雲尊者の直弟子であった明堂諦濡[みょうどうたいじゅ]律師によって、尊者の滅後二十年の後に著されたものです。尊者の生涯における小事件、またはそれら一々に対する尊者自身の感慨などは、尊者のその他の著作、または弟子達が残した書物に散見されますが、その一生涯を通して知るには、この書が最も適した唯一のものです。

もっとも、現在諸学者によって判明した尊者の生涯と、この尊者伝とを比較した場合、やや年代の誤差や期間の長短などの食い違いがあるようです。よって、その記述が全面的に事実に即したものではないようですが、しかし、それでも尊者の生涯を知るのに、最も適したものであることに変わりはありません。

しかし、『正法律興復大和上光尊者伝』は、長谷宝秀編『慈雲尊者全集』(思文閣出版)の首巻(35項~47項)に所載されてはいるものの、それ単体としては出版されたことはなく、また原文が漢文である為に、読む人が非常に限られてしまっているのが現状のようです。

そこで、ここでは『慈雲尊者全集』所載の『正法律興復大和上光尊者伝』を底本とし、その全文を16ページに分割して掲載。これに読み下し文と現代語訳ならびに語注を併記し、これをもって、尊者の生涯をご紹介しております。

きわめて残念なことながら、尊者生誕の地、大阪においてですら、現在ほとんど知られなくなってしまった慈雲尊者の生涯と事績から、それはきっと多くあると確信しますが、様々の人が「いかに仏教に対するか」ということを学ぶことを願ってやみません。そしてまた、江戸中期の日本にこれほど偉大な僧侶が存在したことが、仏教と共に、また永く後世に伝えられんことを。

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2.凡例

本文

ここで紹介する明堂諦濡『正法律興復大和上光尊者伝』は、長谷宝秀編『慈雲尊者全集』思文閣出版の首巻、35項から47項にわたって掲載されたものを底本とした。

ここで『正法律興復大和上光尊者伝』を紹介するにあたって、その原文(漢文)を16ページに分割して掲載。これに読み下し文と現代語訳ならびに語注を併記した。よって本文は、原文・訓読文・現代語訳からなる。読解の便に資するため、適宜段落を設けたが、これは当サイト制作者によるもので、原文に段落は設けられていない。

現代語訳は、極力逐語的に訳すことを心がけた。もっとも、現代語訳を逐語的に行ったと言っても、読解を容易にするため、原文にない語句を挿入した場合がある。こ の場合、それら語句は( )に閉じ、挿入語句であることを示している。しかし、挿入した語句に訳者個人の意図が過剰に働き、読者が原意を外れて読む可能性がある。注意されたい。

さらに、儒学が旺盛であった当時に用いられた漢学ならではの表現や、仏教の術語は無理に現代語訳することはせず、そのまま掲載した。

難読と思われる語句、あるいは現代からすると特殊な読み方をする仏教の術後には、ルビを[ ]に閉じて付した。

訳者の知識教養がまったく不十分なため、原意を外れた錯誤が多々あると思われる。願わくは識者の指摘を請う。

語注

語注は、訓読文に対し付した。それらは、特に説明が必要であると考えられる仏教用語、あるいは古語、支那の故事に由来する語などに適宜付した。多少、過剰に付した嫌いがあるが、これもなるべく多くの者の読解に資するための便を図ってのことである。

本文に経論からの引用がされている箇所は、判明している範囲でその典拠を示した。それらはすべて『大正新修大蔵経』による。例えば引用箇所が『大正新修大蔵経』2巻177項上段であった場合、(大正2,P177上段)と表示している。

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