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人に彼我あり。彼我あれば尊卑あり。沙門族姓を出るは彼我を平等にし尊卑を超過するのかたちなり。貌に好醜あり。是によりて慢を長じ愛を育す。剃髪し壊色の衣を著するは慢を伏し愛をやむるのすがたなり。家に貧富あり禄に多寡あり。富者は傲り貧人は○(うたが)ふ。これをすて応器を将て行乞し。あるは僧食をひとしくわかち。あるは有信の供施にまかせてうく。慳貪傲〈トウ〉をはなるゝのをもむきなり。
人には彼我(ひが)*1がある。彼我(という区別)があれば、尊卑(そんぴ)*2がある。沙門(しゃもん)*3が、族姓(ぞくしょう)*4から出て出家するのは、彼我を平等に観て、尊卑(などの社会的、俗的な身分差)を超えるためのありかたである。(人の)容貌には好醜(こうしゅう)*5がある。これによって慢(まん)*6の気持ちを大きくしたり、愛*7を強めるのである。(出家者が)髪を剃り、壊色(えじき)*8で染めた衣を着るのは、慢という意識の働きを抑え、愛することを止めるための形である。家には貧富があり、収入には多寡(たか)*9がある。富める者は傲慢であり 、貧しき人はさもしい。(出家者は)このような(財の有無、貧富といったものがつきまとう俗的)生活を捨てて、応器(おうき)*10をもって托鉢(たくはつ)し、ある者は僧食(そうじき)*11を平等に分け隔て無く分かち、ある者は信仰ある在家者から食事の招待をうける。物惜しみと貪り、傲慢さと卑屈さとを離れる方法である。
*1 彼我(ひが)…他者と自己。多種多様であること。あれこれと分別する、の意としても可か。→本文に戻る
*3 沙門(しゃもん)…サンスクリット「śramaŋa(シュラマナ)」あるいはパーリ語「samaŋa(サマナ)」の音写語で、原意は「さまよう人」・「放浪者」だが、仏教においては「僧侶」を指す言葉。もっとも、インドでは、仏教に限らずバラモン以外の宗教者・出家修行者全般を指す言葉であった。→本文に戻る
*6 慢(まん)…自身を特別視して、他を見下すこと。→本文に戻る
*8 壊色(えじき)…人の好まない、くすんだ色。具体的には「青・黄・赤・白・黒」の純色を避けた中間色。一般的に、赤茶色または木蘭色のこと。もともと「袈裟」とは、サンスクリットで「kaşāya(カシャーヤ)」あるいはパーリ語で「kasāya(カサーヤ)」の音写語で、「ボロ布」・「汚い色の布」を指す言葉であったといい、今は仏教の僧侶が着る衣を指す。→本文に戻る
*10 応器(おうき)…「応量器」の略。僧侶が托鉢に用いる鉄または陶器製の容器、「鉄鉢(てっぱつ)」のこと。→本文に戻る
*11 僧食(そうじき)…僧伽(サンガ)に直接供養された食事。→本文に戻る
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