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此骨相はいにしへこれを禅房に安置し賢聖諸衆の観境となす。観境とは。心境もと二なし。まよふて内外を見る。内心は外境の縁影なり。外境は内心の転変なり。このうちそと相対して苦楽昇沈わかる。大聖世尊金剛座上に無上正覚を成じたまふ。このときすでに一切衆生ことごとく菩提心を発しをはり。菩薩行を満足しをはり。等正覚を成じ竟れり。
この骨相は、昔は禅房*1に安置し、賢者や聖者、僧侶達の「観境(冥想する対象)」としていたのである。「観境」とは言うが、心と外界(つまり、知るものと知られるもの)は、本来二つ別々のものではない。(ものごとの真実なるありかたに対して)迷うことによって、あれこれ誤って分別するのである。心とは、自身が覚知している世界・ものごとに影響されて現れた、影の様なものである。自身が覚知している世界・ものごとは、自分の心が作り出した、幻影のようなものである。この、意識と外界とが相対することによって、苦楽昇沈がわかれるのである。大聖世尊(だいしょうせそん)*2は金剛座*3の上で無上正覚*4を開かれた。このとき既に、一切衆生は皆のこらず菩提心*5を起こし、菩薩行*6を完成させ、等正覚*7を得たのである。
*1 禅房(ぜんぼう)…冥想するための部屋、施設。→本文に戻る
*2 大聖世尊(だいしょうせそん)…仏陀釈尊。→本文に戻る
*3 金剛座(こんごうざ)…インドはブッダガヤーにある、その昔釈尊が悟りを開かれた菩提樹の下の場所。「金剛宝座(こんごうほうざ)」とも。この地には大菩提寺という寺院が建っており、インド八大仏跡の一つとして、世界中の仏教徒がこの地を訪れている。→本文に戻る
*4 無上正覚(むじょうしょうかく)…この上ない最高の悟り。悟りには段階がある。悟りとは、卑近な表現で言えば「気づき」である。日常の身近な出来事や物事の中の、本質・真理に、少しずつ気付いていく、悟っていく。その果てに「無上正覚」があるのだ。→本文に戻る
*5 菩提心(ぼだいしん)…一般には「悟りを求める心」。大乗では、生きとし生けるものに対しての慈悲を根底に据える。→本文に戻る
*6 菩薩行(ぼさつぎょう)…悟りを求めて精進する菩薩が行うべき徳目。「布施(ふせ)・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)」の、いわゆる六波羅蜜(ろくはらみつ)。「波羅蜜」とは、サンスクリット「pāramitā(パーラミター)」あるいはパーリ語「pāramī(パーラミー)」の音写語で、漢語では伝統的に「到彼岸(とうひがん)」つまり「(この岸から川を越えて)むこうの岸に到ること」の意味とされる。「(この岸から川を越えて)むこうの岸に到る」とは、苦しみの世界たるこの世から、生まれ変わり死に変わりする輪廻の流れを超え、大いなる平安の境地、涅槃に入ることの譬え。もっとも、サンスクリット本来の意味からすれば、「完成」という程の意である。どちらの意で捉えても方向性は同じであるから、菩薩行とは、「悟りに到るための行いの完成」と解するが良いか。→本文に戻る
*7 等正覚(とうしょうがく)…「無上正覚」に同じ。最高の悟り。「正等覚(しょうとうがく)」とも言い、あるいは原語たるサンスクリット「samyak-sambodhi(サムミャク・サムボーディ)」を音写した「三藐三菩提(さんみゃくさんぼだい)」との語を使う場合もある。いずれにせよ同じ意味である。→本文に戻る
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