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諸仏は五蘊皆空と説き給ふ。色はこれ現今五尺の形骸なり。受想行識は現今の思慮分別なり。教外別伝不立文字、無量の法蔵爰に具足して他に求むべからず。此の色身、小児より父母の養育によりて成長に至る。この心想、長上の教導によりて水火の避くべきを知り、悪行の避くべきを知る。初著に此を臆念して父母の恩を臆知し、師長の恩を臆知し、孝順心を生じて菩薩の戒法を得、釈迦多寶と相朋うて菩薩の位に居す。
梵網経に云く、父母師僧三宝に孝順せよ、孝順は至道の法なり、孝を名づけて戒と為すと。此の色身これ飲食に養はれ、屈伸に増長せられて力作技量となる。智者も愚人も異ならず、貴賤尊卑も別ならず。卑心臆知の我々所微薄なり。常一主宰の邪見に依準すべきに非ず。
「もろもろの佛陀は「五蘊皆空(ごうんかいくう)*1」 とお説きになられている。色(しき)*2とは、今ここにある五尺*3の身体である。受想行識とは、今この我が身の思慮分別という意味である。「教外別伝(きょうげべつでん)*4」・「不立文字(ふりゅうもんじ)*5」。推し量ることが出来ない仏陀の教えは、この我が身心に具わっていて、どこか他に求めるべきものではない。この身体は、子供より父母の養育によって成長する。この心想*6は、年長者や先生の指導によって、水や火の避けるべき(危険)を知るようになり、悪行を行わないようにしなければならない事を知る。まず始めにこれを思い計って父母の恩を思い知り、先生や年長者の恩を思い知り、(父母や師長に対して)恭順心*7を起こして菩薩の戒法*8を得て、釈迦如来や多寶如来と相伴って菩薩の位に達するのである」
「梵網経ではこのように説かれている「父母、師僧、三宝に恭順せよ。恭順は(悟りに)至る道の教えである。孝を名づけて戒とするのである」と。この身体は飲食によって養われ、次第にたくましくなって労働やその能力となるものである。これは智者であると愚人であろうと異なるものではなく、貴賤や尊卑などの身分差にも分け隔ての無いありかたである。(悟っていない者が)卑心(ひしん)*9によって臆知(おくち)*10する、我(が)*11 ・我所(がしょ)*12(という考え、モノの見方)はきわめて薄っぺらなものである。常一主宰(じょういちしゅさい)*13の邪見*14に頼り、(その邪見に従った信仰に)順じるべきではないのだ」
*1 五蘊皆空(ごうんかいくう)…仏教において、人を構成しているとする五つの要素、つまり「色(しき)・受(じゅ)・想(そう)・行(ぎょう)・識(しき)」の五つの集まりそれぞれが、常住不変なるものではない、実体を欠いた空しいものである、との意。それは様々な条件と原因によって一時的に形成したものであり、ゆえに無常であり、無我であるとする。『般若心経』の一節として有名。→本文に戻る
*3 五尺(ごしゃく)…約150p。ここでは「己の身の丈」というほどの意。→本文に戻る
*4 教外別伝(きょうげべつでん)…。→本文に戻る
*5 不立文字(ふりゅうもんじ)…真理は言葉で言い現せないものである、との意。禅宗の言葉。→本文に戻る
*6 心想(しんそう)…こころ。ここでは知性の意も含む。→本文に戻る
*7 恭順心(きょうじゅんしん)…つつしんで従う心。→本文に戻る
*8 菩薩の戒法(かいほう)…日本では一般的に、『梵網経(ぼんもうきょう)』に説かれる「十重四十八軽戒(じゅうじゅうしじゅうはちきょうかい)」を指す。→本文に戻る
*10 臆知(おくち)…なんとなく、ぼんやりと思考すること。→本文に戻る
*11 我(が)…自分または物事の奥底にひそむ、決して変わることのない「何か」。→本文に戻る
*12 我所(がしょ)…決して変わることのない「何か」に所属するもの。あるいは、何事かを「これは絶対に私のものである」とすること。→本文に戻る
*13 常一主宰(じょういちしゅさい)…常に変わることのない永遠不滅の絶対的存在であり、宇宙を、世界を作りだし、また支配するという絶対唯一の神。ユダヤ教やキリスト教、イスラム教の神がこれにあたる。→本文に戻る
*14 邪見(じゃけん)…仏教の見る真理「宇宙のすべては、さまざまな原因と条件とが揃ったことによって仮に生じたものであり、だからこそ無常であり、無我である」からして、誤った見解、認識。仏教においては、絶対的存在者、救済者としての神の存在は、完全否定される。→本文に戻る
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