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諸宗意得
禅定
沙門の通式なり。修せずんばあるべからず。これも四五百年来いな様に成り下り。諸宗には坐禅の規則もなし。但真言宗禅宗に残りたり。真言宗のことは別に論ずべし。禅宗の坐禅は達磨ノ所伝貴フべし。臨済洞山などのごとき貴フべし。四五百年来は支那国の清談の風がうつりて。但タ機発模様をのみ伝えて。心地の修行はたえたり。その甚だしきは珍言奇句を弄びて。俳人のやうに類するなり。教外別伝の意旨をとりそこなうて。聖教量りを信ぜぬもの多し
(禅定 [冥想] は)僧侶ならば当然のこととして、皆が行うべき修行である。行わない、などという事はあってはならない。(ところが)これも、ここ四〜五百年の間に行わないのが当たり前の如きひどい有り様となってしまい、諸宗に冥想するための方法論、指南書さえ無い状況である。ただ真言宗と禅宗とに(わずかばかり)残っているのみである。(しかし)真言宗のことは、別の機会に論ずるとする。禅宗の冥想法は、達磨(だるま)大師より伝えられるもので、尊重すべきである。臨済義玄[りんざいぎげん]*1や洞山良价[とうざんりょうかい]*2などのような禅者らも、貴ぶべきであろう。(しかしながら)ここ四〜五百年来(の日本の禅宗)は、中国の清談[せいだん]*3の風潮に影響されてしまい、ただ単に形ばかりの「それらしさ」のみを伝えているのみで、心の奥底、本質をしるというような(禅本来の)修行は、廃れて絶えてしまっている。なかでも甚だしくひどい者となると、奇をてらった、(人を弄するだけで)中身のない言葉を並べ立て、俳人の様な振る舞いをする者がある。(また)教外別伝[きょうげべつでん]*4の本来の意味をはき違え、(文字で書かれたものは信ずるに値しないといって)経典をすら信じない者が多いのである。
*1 臨済義玄[りんざいぎげん]…中国唐代の僧。臨済宗の祖。→本文に戻る
*2 洞山良价[とうざんりょうかい]…中国唐代の僧。曹洞宗の祖。→本文に戻る
*3 清談[せいだん]…魏晋時代に「流行」した、世俗を離れた高尚な会話(特に老荘のそれ)のみしかなさない、と言った思想。又は芸術、学問などに限った趣味。ともすると独善的な厭世主義、もしくは高飛車な貴族趣味にすぎなくなる。→本文に戻る
*4 教外別伝[きょうげべつでん]…仏陀の悟り・真理は、言葉や文字で表され伝え得るものではなく、以心伝心によって初めて知り得るという禅宗の主張。不立文字[ふりゅうもんじ]に同じ。→本文に戻る
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