真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ なぜ酒を飲んではいけないのか-『梵網経』-

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1.『梵網経』に説かれる酒の戒め

なぜ酒を飲んではいけないのか

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2.『梵網経』(酤酒戒/飲酒戒)対訳

酤酒戒(十重禁戒)

原文
若佛子。自酤酒教人酤酒。酤酒因酤酒縁酤酒法酤酒業。一切酒不得酤。是酒起罪因縁。而菩薩應生一切衆生明達之慧。而反更生一切衆生顛倒之心者。是菩薩波羅夷罪

訓読文
もし仏子、みずから酒を酤[う]り、人に教えて酒を酤らしめば、酒を酤る因、酒を酤る縁、酒を酤る法、酒を酤る業[ごう]あり。一切の酒を酤ることを得ざれ。これ酒は罪を起こすの因縁なり。しかも菩薩はまさに一切衆生の明達[みょうたつ]の慧を生ぜしむべし。しかるを反って更に一切衆生の顛倒[てんどう]の心を生ぜしめば、これ菩薩の波羅夷罪[はらいざい]なり。

現代語訳
もし仏弟子が、自分から酒を売り、他人に酒を売らせれば、そこに酒を売る原因、酒を売る条件、酒を売る法、酒を売る行いがある。いかなる種類の酒であれ売ってはならない。酒は罪を犯す原因・条件である。そもそも菩薩は生きとし生けるものすべてが、涅槃に向かう智慧を生じるよう活動すべきものである。にも関わらず、(酒を売り、飲酒させることによって)生きとし生けるものに(「わかっちゃいるけどやめられない」と言った類の)逆様な心を起こさせれば、これは菩薩として、死罪に等しい許されぬ罪である。

出典:『梵網経』(『大正新修大蔵経』24,P1004下段)

飲酒戒(四十八軽戒)

原文
若佛子。故飮酒而生酒過失無量。若自身手過酒器與人飮酒者。五百世無手。何況自飮。不得教一切人飮。及一切衆生飮酒。況自飮酒。若故自飮教人飮者。犯輕垢罪

訓読文
もし仏子、故[ことさら]に酒を飲まんか、しかも酒の過失を生ずること無量なり。もし自身の手ずから酒器を過[わた]して人に興[あた]へて酒を飲ましめば、五百世まで手無し。何[いか]に況[いわん]や自ら飲まんをや。一切の人を教へて飲ましめ、及び一切衆生に酒を飲ましむることを得ざれ。況[いわん]や自ら酒を飲まんをや。一切の酒を飲むことを得ざれ。もし故[ことさら]に自ら酒を飲み、人を教えて飲ましめば、軽垢罪[きょうくざい]を犯[ぼん]ず。

現代語訳
もし仏弟子が、故意に酒を飲めば、酒による過失が起こって、その過失を数え挙げる事は出来ないほどである。もし自身の手ずから酒の器を他人にわたして酒を飲ませれば、五百回にいたるまで手が無いモノとして生まれ変わる。ましてや自分が酒を飲むなど論外である。どのような他人であってもこれに飲ませ、および生きとし生けるものに酒を飲ませてはならない。自分が酒を飲むなど、もってのほかである。いかなる種類の酒であっても飲んではならない。もし故意にみずから酒を飲み、他人に飲ませれば、悪しき行い(十重禁戒に比較すれば軽微な罪)を犯したことになる。

出典:『梵網経』(『大正新修大蔵経』24,P1005中段)

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