現在の位置
序 |
『スッタニパータ』 |
『長阿含経』 |
『梵網経』 |
『四分律』 |
龍樹『大智度論』
最澄『臨終遺言』 |
空海『御遺告』 |
法然『百四十五箇条問答』 |
喜海『栂尾明恵上人伝記』
古来、空海の遺言として真言宗に伝えられてきた『御遺告(ごゆいごう)』では、「なぜ酒を飲んではいけないのか」の具体的な理由を、直接述べる事はせず、それらが説かれている仏典を挙げて、その戒めとしています。
さて、『御遺告』の中で空海は、酒が薬として有用なものであることを、これは『大智度論』の所説をうけてのことでしょうが、まず一応認めています。しかし、すぐにつづいて、仏道を歩む者にとっては酒が害毒にすぎないことを、『長阿含経(ぢょうあごんきょう)』と『大智度論(だいちどろん)』ならびに『梵網経(ぼんもうきょう)』に説かれていることを指摘し、戒めています。なかでも、『梵網経』の説く「酤酒戒(こしゅかい)」と「飲酒戒(おんじゅかい)」を、重く捉えていることが知られます。
ただし、例外として酒を用いても良い場合のあることを、恵果(けいか)と順暁(じゅんぎょう)の談話に基づいて挙げています。それは、本質がまったく改変されて用いられてはいるものの、真言宗の僧徒の中ではたいへん有名なものです。「塩酒(おんじゅ)を許す」というのが、それです。
ちなみに恵果とは、唐の都たる西安の青龍寺にあって、空海を中国に伝わった密教の正当継承者とした、当代きっての密教僧で空海の師。順暁とは、西安から遙かに遠い泰山などに住していた密教僧です。恵果の師などから、その密教の一部を授けられ、最澄(さいちょう)にこれを授けたことで日本では有名な人です。
さて、先に述べたように、ここでは恵果と順暁との談話として、「大乗開門の法に依って、治病の人には塩酒を許す」などと、飲酒戒についての例外が挙げられています。
しかし、本文を読めば明らかなように、これはあくまで「口伝」です。 空海が順暁と会った事実などなく、よって空海が直接これを聞いたはずはありません。あるとすれば、師の恵果もしくはその周囲から伝え聞いたと推測できるで しょう。また、この説に、大乗の経文に根拠などありません。しかし、大乗に限らずに言えば、典拠が無い、とは言えないようです。諸々の律蔵には、酒を用い ても良い場合のあることが説かれているのです。
例えば、日本で過去行われていた律蔵である『四分律』の飲酒戒を説く中、その末尾に、酒を用いても良い場合として「出家者が病を患った際、他に有効な治療法も薬も無い場合には、酒を薬として用いても良い。また、皮膚病を癒やすための塗薬として、酒を用いても良い」ということが説かれています。律蔵において、すでに酒を治病の為の薬としてならば、罪とはならない(用いても良い)ことが説かれているのです。
『御遺告』では「塩酒を許す」として、酒を塩と一緒に用いる事が言われています。なぜ塩と酒なのか。これはその昔、人々は、酒の肴として塩を用いていた様で、それを意味するものと思われます。
いずれにせよ、ここに挙げられている恵果と順暁との談話としての口伝は、「大乗開門の法」などという大げさなものではなく、律蔵の所説に基づいたものと考えて良いでしょう。
さて、『御遺告』とは、先に述べたように、空海の遺言である、と古来真言宗で伝承され、重要視されてきたものです。
承和2年(835)3月15日付けで、空海が死去する一週間前に弟子達に遺しとされる遺言で、二十五箇条からなっています。この中の第十九条に、 「僧房の内に酒を飲むべからざるの縁起」として、飲酒に関する戒めが説かれています。現在、高野山金剛峰寺は御影堂に、空海真筆とされるものが所蔵されて います。
しかし、実は『御遺告』は空海の著作などでは到底なく、彼の遺言をそのまま書き留めたものでもないということが、近年の仏教学会では定説となっています。『御遺告』とは、空海の言葉として見て問題ないとされている 『弘仁遺戒』 や 『承和遺戒』 などを下敷きとして、どこかの何者かによって、空海作と擬して平安中期頃に著されたもの、という見方が大勢のようです。
もっとも、学会でその様にいわれていたとしても、平安期の昔から空海撰として伝えられてきた、真言宗徒にとっては最も重要な書の一つであるという歴史的事実は動きません。よって、ここではその事実をふまえ、『御遺告』は空海撰であるとの立場を採っています。
面白い事に、近年の真言宗徒はこぞって、『御遺告』にあるこの一文を、恣意的に「治病の人には飲酒いっぱいはこれを許す」と、あたかも空海が飲酒を許可していたかのように、改変して記憶し伝承。もちろん、『御遺告』を直接読めば明らかなように、空海は決して飲酒を積極的に許しているわけではありません。
しかし、真言宗の僧徒は、「お大師様も酒を飲む事を戒めらなかった」、「お大師様はおちょこに一杯か、バケツにイッパイかはおっしゃらなかった」などといって、たいていの法要が終わった後には、ウワバミのように酒をすすることを習いとしています。
たとえば、現在も真言密教の聖地などと言われている高野山などは、観光客用の宣伝文句どおりの「密教の道場」「菩提道場」などでは到底なく、まった くの「飲酒の道場」であると言って差し支えがないほどです。僧徒だけではありません。高野山を訪れる参拝者・観光客も、そこで酒を飲む事を求めます。寺院側も十分これを心得ており、「当院にはお酒などはございません。いや、しかし、般若湯や麦般若ならばございます。これらは飲み放題。そして払い放題でござい ます」などと販売し、参拝者もこれを大喜びする場合が多くあります。
結果、彼等のそのほとんどが、酒と酒にともなう食事を暴飲暴食したことによって、高血圧・糖尿・痛風などの病気・疾患、肥満などに苦しむことになり、実際苦しんでいる人がたいへん多くあります。
もっとも、彼等は、百薬の長のはずの酒、治病のため(のはず)の酒を飲んで身体を病み、心を病み、それでも酒を飲むことは止められない。いや、そもそも止めようとすらしないようです。しかし、彼らのその職業上、参拝者にはその実体を口が裂けても言えず、また見せることもあいなりません。そこで、彼等の説法は丸ごと虚言、横で聞いていると吹き出しそうなほどの「ご冗談」、あるいは典型的な「おためごかし」にならざるを得ません。
自業自得とは言え、彼等は実にあわれな、かわいそうな人々であると言えるかもしれません。
このようなことから、仏教から離れ、空海の遺志からも程遠い所に位置しながら、「仏様、お大師様はいつも私たちを見守って下さっている。あぁ、ありがたい、ありがたい。南無大師遍照金剛、南無大師遍照金剛」などと、ありもしない幻想に救いを求めるのも、故無しとは言えないでしょう。
原文
夫以酒是治病珍風除之寶矣。然而於佛家爲大過者也。是以長阿含經曰。飮酒有六種過等云云 智度論曰。有三十五種過等云云 亦梵網経所説甚深也。何况秘密門徒可酒愛用哉。依之所制也。但靑龍寺大師與幷御相弟子内供奉十禪師順暁阿闍梨共語擬曰。依大乘開門之法治病之人許鹽酒。依之亦圓坐之次呼平不得數用。若有必用從外入不瓶之器來副茶秘用云云
訓読文
それ以[おもんみ]れば酒は是れ治病の珍、風除の宝なり。然れども仏家に於いては大過をなす者なり。是を以て『長阿含経』に曰く、「飲酒に六種の過有り」等と云々。『智度論』に曰く、「三十五種の過有り」等と云々。また『梵網経』の所説甚深なり。何に況や秘密の門徒、酒を愛し用ふべけんや。之に依って制する所なり。但し青龍寺の大師と、並びに御相弟子内供奉十禅師順暁阿闍梨と共に語らひ擬して曰く。「大乗開門の法に依って、治病の人には塩酒[おんじゅ]を許す」。之に依ってまた円坐の次[つい]でに平を呼んで数を用ふることを得ざれ。もし必ず用ふべきこと有らば、外[ほ]かより瓶[かめ]にあらざるの器に入れ来たって、茶に副[そ]えて秘かに用ひよ云々。
現代語訳
そもそも考えてみれば、酒は病を癒やす珍薬、寒さを除く宝である。しかしながら、仏教においては、大きな禍[わざわい]を引き起こすものだ。であるから『長阿含経[ぢょうあごんきょう]』にこう説かれている、「飲酒に六種の過失がある」などと。『大智度論』にはこう説いている、「三十五の過失がある」などと。また『梵網経』が(酒を売り、また飲んではならないと)説くのは甚だ深い意味がある。ましてや真言密教の修行者が、酒を愛し飲んで良いわけがない。このようなことから、飲酒を禁止するのである。ただし、青龍寺の大師(恵果[けいか]和尚)と、その兄弟弟子だった順暁[じゅんぎょう]阿闍梨とが共に語らい、仮の事として言われていた。「大乗の、本来やってはならないことだが、人々を教え導くための手段として、例外として許している教えによれば、病気療養中の者であれば、塩と酒を(薬として用いる事は)許される」と。このような先徳の言明があるからといって、皆が集まった折に平杯でもって酒を飲み散らすなどしてはならない。もし必ず(病気治療のための薬として)用いなければならないことがあれば、僧房の外で酒瓶ではない器に移し替えてから持ち帰り、茶にそえて(それが決して酒だと他に知られぬように)秘かに飲まなければならない。
出典:『御遺告』(密教文化研究所編『弘法大師全集』第二輯,P798-799)
序 |
『スッタニパータ』 |
『長阿含経』 |
『梵網経』 |
『四分律』 |
龍樹『大智度論』
最澄『臨終遺言』 |
空海『御遺告』 |
法然『百四十五箇条問答』 |
喜海『栂尾明恵上人伝記』
メインの本文はここまでです。
現在の位置
このページは以上です。