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波斯匿王[はしのくおう]*1、仏に白(もう)して言(もうさ)く、「我母既に逝去しぬ。若[もし]人あって、是を生けしむる者あらば、国城妻子をも捨て、我[わが]身命[しんみょう]をも施して、報ずべし」*2と云々。今の世の人少しうれしかる事は有とも、是程の憂愁は、更に有べからず。上古末代*3、大国辺夷[へんい]*4、懸(はるか)に隔(へだて)たる事は、皆心得られたり。悲しき哉やと云々。
パセーナディ王が、仏陀に語りかけて申し上げた。「私の母が逝去してしまいました。もし人で、母を生き返らせてくれる者があったならば、(私は)この国や妻子をも捨て、私の命をすらなげうち、(その恩に)報いるでしょう」と。今の世の人には少しばかり嬉しいと思える事があったとしても、これ程の憂愁(にかられる者)は、まったくありはしないだろう。(仏陀の御健在だった)遠い昔と(仏陀の教えが正しく行われず道義のすさんだ)今の世、(インドという文化の中心となる)大国と(日本のような)辺境の異国、(それぞれが)はるかに隔絶したものであることは、すべてわかってはいることである。(しかし、それにしても、)悲しいことではないか。
*1 波斯匿王[はしのくおう]…釈尊在世当時、ガンジス川中流域でマガダ国と勢力を争っていた大国コーサラの王の名。「波斯匿」はサンスクリット名「Prasenajit(プラセーナジット)」あるいはパーリ語名「Pasenadi(パセーナディ)」の音写名。釈尊と同じ年に生まれている。出会ったときより釈尊に帰依し、様々な事柄について釈尊に相談していた。相当な大食漢にして、かなりの肥満体だったようであるが、釈尊から食べ過ぎを咎められ、ダイエットに成功したという。→本文に戻る
*2 我母既に逝去しぬ云々…明恵上人は母としているが、現存経典では祖母とある。【岩波】にて「『雑阿含経』(大正二・335中)」と指摘されているように、『雑阿含経』の「我亡祖母極所敬重。捨我命終。出於城外闍維供養畢。來詣世尊佛告大王。極愛重敬念祖親耶。波斯匿王白佛。世尊。極敬重愛戀。世尊。若國土所有象馬七寶。乃至國位悉持與人。能救祖母命者。悉當與之。既不能救生死長辭。悲戀憂苦不自堪勝」(大正二,P335中段)の一節を引いたもの。→本文に戻る
*3 末代[まつだい]…道義の衰えた世。明恵上人在世当時の「現在」。仏教が出世の為の一手段、あるいは生活の方法と堕し、浄土教など脱仏教の狂信者達がはびこった世。→本文に戻る
*4 辺夷[へんい]…辺境の夷国。ここではインドを中心と考え、さらにそこから遠く離れた中国文化圏の辺境国たる日本を指す。→本文に戻る
末代の習は、適(たまたま)学ぶ所の法*1を以ては、名利を荘(かざり)て、法の本意を得ず。故に法印*2たる二空*3の道理をば捨て、目を見せず*4。若(もし)近代の学生(がくしょう)の云ふ様なるが実の仏法ならば、諸道の中に悪(わろ)き者は、仏法にてぞ有(あら)ん*5。只思(おもい)に心得ざる人を友としては、何の所詮*6かあらん。愁歎(しゅうたん)するに堪(たへ)たり。
末代で当たり前のように行われているのは、たまたま学んだ仏の教えを(僧侶の出世の術としての学問として)使って、(自分の)名誉と利益を得ることはあるが、教えの本意を得ることはない。だから仏の教えの旗印たる(人もモノも実体を欠いた空しいものであるとの)二空の道理を捨て、内心を隠すのだ。もし近頃の学僧が説いているのが本当の仏教だとしたら、諸々の宗教の中で(最も)悪いのは、仏教以外にない。凡庸なる仏教の本意を心得ない人を友としても、何の甲斐があるだろうか。嘆き悲しむべきことである。
*1 法[ほう]…仏陀の教え、あるいは真理。法とは、 サンスクリット「dharma(ダルマ)」またはパーリ語「dhamma(ダンマ)」の漢訳語。「達磨」はその音写語。「教え」・「宗教」・「真理」・「道徳」・「存在」・「慣習」・「もの」など、多くの意味を持つ言葉。→本文に戻る
*2 法印[ほういん]…仏教の根本教説。あるいは、仏教がその他の宗教と比較して独自の教説。「諸行無常」・「諸法無我」・「涅槃寂静」の三法印、これに「一切皆苦」を加えた四法印などを指す。ここでは、「二空」をもって法印としている。→本文に戻る
*3 二空[にくう]…「人法二空」の略。「人法二無我」の別の言い。人には魂など不変の実体などないとする「人無我」と、人や物を構成する要素も実体はないとする「法無我」を同時に表した言葉。一般に、小乗は「人無我」のみを説き、大乗は「人法二無我」を説くと解釈されている。→本文に戻る
*4 目を見せず…【岩波】では「心情を目にあらわさない。内心をかくす。」とあるが、正確な意味をつかみえない。識者の教示をあおぐ。→本文に戻る
*5 諸道の中に云々…この一節は慈雲尊者も『十善法語』の中で引用している。鎌倉期そして江戸期と同じように、現在においてもこれとまったく同じ事が言い得る。日本の僧侶や仏教学者、あるいは新興宗教などが主張する仏教は、まさに「諸道の中に悪き者は、仏法にてぞ有ん」という言葉が見事なまでに合致するのである。日本において、仏教を正面から説いているのは、チベットやビルマ、スリランカなどから渡来した外国の僧侶だけである。恥ずべき事であろう。→本文に戻る
*6 所詮[しょせん]…つまるところ何も無い、という否定的言葉。【岩波】では「能詮の対」とも注しているが、ここではそのような意味はまったくない。→本文に戻る
我(われ)学道(がくどう)*1する様は、諸仏菩薩は、如何(いかが)仏道をば修行し給ひけんとのみ、守り居たれば、近代の学生(がくしょう)の為には、其(その)益(やく)もなし。されども、仏の糸惜(いとおし)く、思食(おぼしめし)けるやらん。形の如く仏道修行の用になる程は、心中許(ばか)りは明かにして、滞(とどこお)りなしと云々。
私が学道を修めるあり様は、諸仏諸菩薩は、どのように仏道を修行されたのであろうかとのみ、(ただそれだけを)信条としていたのであるから、(私の学道の成果は)近頃の学僧の為に、役に立つものではない。しかしながら、仏は(どのような者であっても)いとおしく、思われていたということだ。仏が説かれたとおりの仏道修行の役に立つならば、(学僧たちに私の)心の中くらいは明らかにしても、差し障りは無い。
*1 学道[がくどう]…仏教を学び修行すること。もっとも、ここでの学道とは、難解な経典・論書を暗誦・研究して自身の見解をたて、数々の難解な試験を突破していくことを意味しているであろう。例えば南都興福寺の維摩会[ゆいまえ]や薬師寺の最勝会[さいしょうえ]、宮中の御斎会[ごさいえ]などの大法会は、そのような学問を修め、試験を突破して初めて出席できるハレの法会である。これを終えた僧侶はエリート中のエリートであった。恐ろしく難解な試験ではあったが、それは財や地位を得ることが出来る出世の手段でもあり、あくまで学問として仏教を学び納めるだけに留まる場合がほとんどであった。→本文に戻る
我は幼稚の昔より聖教(しょうぎょう)*1を見るも、仏の思食し企(くわだ)てたる法の趣を、知(しら)んと思ふ計にて、別に学生(がくしょう)に成んとも人に誉(ほめ)られん共思(おもい)し事は、無(なか)りしなり。
私は幼かった昔から仏典を読んでいるが、(それは)仏陀が(人を悟りへといざなおうと)思し召し計画された教えの趣旨を、知ろうと思ってのことだけで、別に学僧になろうとも他人に賞賛され(出世し)ようとも思ったことは、無いのだ。
*1 聖教[しょうぎょう]…仏典の総称。経蔵・律蔵・論蔵の三蔵にまとめられている聖典群。→本文に戻る
我は師*1をば儲(もうけ)たし。弟子はほしからず。尋常(よのつね)は聊(いささか)の事あれば師には成(なり)たがれ共、人に随(したごう)て一生弟子とは成(なり)たがらぬにや。弟子持て仕立(したて)たがらんよりは、仏果(ぶっか)に至るまでは我心をぞ仕立つべき。又仏は一切有徳の人を崇重(すうちょう)し給ふが故に、一切衆生(いっさいしゅじょう)の上に居して、天人(てんにん)の師*2たりと云々。
私は(私を教え導いてくれる)師匠こそ儲けたい。(私を師と仰ぐ)弟子など欲しくはない。世間一般ではちょっとした(人より秀でた)ことがあれば(弟子をとって)師匠となりたがるが、師の膝下にて一生弟子のままでいたがりはしない。弟子をもって(師匠面して)教えを垂れようなどとするより、最高の悟りに達するまで自分の心をこそ仕立てるべきである。仏陀はすべての徳ある人を尊び重んじられたからこそ、すべての生きとし生けるものの上に立つ、神々や人々の師となったのである。
*1 師[し]…みずからを教え導く指導者。釈尊は菩提樹下にて悟り、仏陀となった当初は、もはや師を持てなくなったことを不安に思ったという。ところで、比丘が弟子をとることについて、律蔵に規定がある。受戒して比丘となり十年以上を経ていること、律を守り、経と律について詳しいことなどである。これを「和上」という。僧侶であり年をとっていれば、誰でも弟子を取ることが出来るなどということは無い。→本文に戻る
*2 天人[てんにん]の師…仏教を正しく修める僧侶は、神々と人間を含むありとあらゆる生物を導く存在であるという意を表した言葉。人が出家して比丘となれば、比丘同士をのぞいて、国王・親族はもとより、神に対しても礼拝したり仕えたりすることはない。もっとも、現実には、国々や土地土地の慣習に則って行うこともある。「天人師」は、「如来の十号」の一つ、仏陀の異称でもある。→本文に戻る
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