真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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1.『栂尾明恵上人遺訓』

画像:「栂尾明恵上人樹上坐禅図像」(高山寺蔵)

『阿留辺幾夜宇和』とは

『阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)』とは、『栂尾明恵上人遺訓』の別題です。

これは、『栂尾明恵上人遺訓』の冒頭が、「人は阿留辺幾夜宇和と云七文字を持つべきなり」という法語から始まることに依ります。

「あるべきようわ」を「阿留辺幾夜宇和」と、漢字で記してありますが、これは当時の仮名文によく見られる漢字の音だけを当てたものです。いわゆる「万葉仮名(まんようがな)」です。よって、当然の事ながら、当てられているそれぞれの漢字に意味などありません。

仏弟子の意得

この書は、寛文五年(1665)二月、京都にて『栂尾明恵上人伝記』上下巻に付録され、初めて出版されたものです。

以降、一般にもたやすく読まれるようになり、ひろく僧俗に親しまれてきました。慈雲尊者も、その著『十善法語』の中で引用しています。

もっとも、『阿留辺幾夜宇和』は、その冒頭に「文暦二年乙未夏の比より始て人の聞き持てるを集て記之。定で誤あらん歟」とあり、末尾には「嘉禎四年戊戌六月二日 於高山寺閼伽井小坊書是猶随求出可書加之 遺弟非人沙門高信」とあるように、高信が、明恵上人が亡くなって3年後の文暦2年(1235)より人々から上人の言葉を聞き集め、嘉禎4年(1238)に書き記したもののようです。

よって、この書の正式な題には『栂尾明恵上人遺訓』と、これを「遺訓」としていますが、上人が弟子達に特に「遺言」として意識して説いた言葉の集成とは言えないものであることから、適当とは言えないかもしれません。やや後に『伝記』から『遺訓』を別出して出版された、『明恵御詞抄』の方が、タイトルとしては適切だったかもしれません。

さて、明恵上人のこの言葉は、やや時を経た弘安六年(1283)成立の、臨済宗の無住一円(むじゅういちえん)による仏教説話集『沙石集(しゃせきしゅう)』にも引用されています。このことから、明恵上人の言葉は、江戸期に出版されるはるか以前より、世間に親しまれていたものであったことが知られます。

仮名法語

『阿留辺幾夜宇和』の内容は、明恵上人が主として僧侶に対しておりおりに説かれた言葉の集成で、以下の五十一篇からなります。

これらは、みずからの宗教的信条から、いかにして仏教を修行すべきかの心得、または当時の仏教者のありさまを痛烈に批判したものなどで、漢文ではなく平易な仮名でつづられた「仮名法語(かなほうご)」です。

1.阿留辺幾夜宇和、2.現世にあるべきやう、3.田楽法師、4.上古仏法を、5.我は人に、6.人の信施は、7.人は我祈りの為とて、8.人常に云く、9.東寺の塔を、10.仏法者と云は、11.波斯匿王、12.末代の習、13.我学道する様、14.我は幼稚、15.我は師を、16.此草庵に、17.昔は我、18.人は常、19.亡者の、20.左右なく、21.高僧等の、22.上古は、23.今は勝れて、24.末代の、25.相構て、26.我身の様、27.世に久く、28.仏に代りて、29.近来の、30.凡夫は、31.人の過を、32.若仏の、33.我常、34.師資の様、35.礼仏読経、36.此の比は、37.師なき時は、38.阿難尊者の、39.菩提と云事は、40.道場に入る、41.寂静を欣て、42.昔し,我、43.適々仏法に入て、44.驕慢と云物は、45.当時は酒取入て、46.昔より人を見に、47.末代は、48.当初本寺に、49.只様もなく、50.聊の流に、51.只心を一にし

*上に挙げた一々の法語の題は、本文にあるものではなく、宮坂宥勝編『仮名法語集(日本古典文学大系)』岩波書店.13項の解説に記載されているものに、原則として依っています。

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2.「あるべきようわ」とは

画像:「栂尾明恵上人樹上坐禅図像」(高山寺蔵)

あるべきようわ

「あるべきようわ」とは、戒も律も守らず、俗人以上に俗な生活を送ってまったく恥じることのない当時の僧侶、これは現在もまったく変わっていませんが、彼らに対して示した痛烈な批判の言葉でした。

当時の僧侶たちのひどい有様がどのようなものであったか。それは、この『阿留辺幾夜宇和』の記述からも知ることは出来ますが、明恵上人没後半世紀に無住一円によって著された仏教説話集『沙石集(しゃせきしゅう)』三にある、「遁世(とんせい)の 遁は時代に 書きかへむ 昔は遁 今は貪」という歌からも伺い知ることが出来るでしょう。

また、承久の乱(1221年)など相次ぐ戦乱、政治形態の一大転換期にあって、人心乱れに乱れていた当時にあり、僧侶でない在俗の人々に対して説かれた言葉でもあります。(→『阿留辺幾夜宇和』を読む

なすべきことなせ

それは決して、「人には神のような絶対者から与えられた義務がある。よって、人は神あるいは天のおぼし召しどおりに生きるべきである」などといった意味での宿命論的言でも、「人は生まれたときから、その人生での全ての出来事、生き方などが定まっていて、それは何人たりとも変える事が出来ない。今現在の状況はあるべくしてあるのであるから、それに満足し、適応せよ」などといった、運命論を謳(うた)った言葉でもありません。

あるいは、日本人の好むフレーズと言える「あるがままに」などといった、安易な現実肯定を意図したものでもありません。

また、近年はこれを以下のように解釈する人が多いようですが、「その場その場で異なる状況に即応して対処せよ」などという状況倫理を良しとして、人に促すものでもありません。

これは一見適当な解釈に思われるかもしれません。が、それは往々にして愚かなご都合主義に転じてしまう解釈と言えるでしょう。日本人は、近代から現在に至るまで、このような考え方を善とすることによって、愚行を繰り返しているからです。明恵上人が、状況によってコロコロと変わる、曖昧な価値基準をもって人に説いてなどいないことは明瞭です。

それは、社会に存在する様々な立場や能力・職業に応じて定められた規則や義務、あるいは固定倫理と言っても良いでしょうが、それらの遵守を説いた、「なすべき事をなし、なすべきでない事はなさずにあれ」という意味の言葉です。

明恵上人は、「阿留辺幾夜宇和 (あるべきようわ)」という七文字をもって、端的(たんてき)な人生訓として示されているのです。(→『阿留辺幾夜宇和』を読む

法楽寺サイト制作・管理者:婆塞 覺應

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