真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

現在の位置

五色線

ここからメインの本文です。

‡ 戒律講説

・ トップページに戻る

1.戒律とは

戒律とは何か

戒律という言葉

日本仏教界における戒律の位置

・ 目次へ戻る

2.戒について

戒とは何か

五戒

八斎戒

十善戒

十重禁戒

・ 目次へ戻る

3.戒相詳説

不殺生 -最高の布施-(準備中)

不偸盗(準備中)

不邪淫(準備中)

不妄語(準備中)

不飲酒 -なぜ酒を飲んではいけないのか-

・ 目次へ戻る

4.律について

律とは何か

律の成立

律蔵とは何か

律蔵の成立

律の構成

僧伽(サンガ) -比丘達の集い-

七衆 -七つの仏教徒のありかた-

根本分裂 -分裂した僧伽-

枝葉分裂 -部派仏教-

・ 目次へ戻る

5.日本仏教の戒律

養老律令 「第七 僧尼令」

天平宝字元年(757)に発布され、形骸的とはいえ、以来明治維新を迎えるまで有効だった、朝廷が僧尼を統率するために布いていた法律。

最澄 『末法燈明記』

延暦20年(801)、最澄が、時代が末法であることを理由に、国家が国法によって僧尼を統制する事に抗議。破戒・無戒の僧であっても、社会はこれを尊敬して布施を行うべきことを主張した書。法然や親鸞、日蓮などに強い影響を与えた。

空海 『弘仁遺誡』

弘仁四年(813)、空海が40才の時、高雄山寺にて開かれた灌頂を受けた僧俗の弟子達に示した教誡。

空海 『承和遺誡』

承和元年(834)、空海がその晩年62才の時、特に出家の弟子達に対して示した教誡。

貞慶 『解脱上人戒律興行願書』

承元年間(1207-1211)、解脱上人貞慶が、興福寺の律宗を復興するため、ならびに興福寺内に律学の道場として常喜院を建立するために記したという興律の願文。

明恵 『栂尾明恵上人遺訓(阿留辺幾夜宇和)』

鎌倉期初頭に栂尾にて活躍した、華厳宗中興の祖といわれる明恵上人高弁が残した数々の教誡や、当時の仏教界への痛烈な批判の言葉を、その弟子高信が、上人没後5年後の嘉禎四年(1238)にまとめ記し終わったもの。『阿留辺幾夜宇和(あるべきようわ)』という別題でも親しまれている。

慈雲 『根本僧制』

慈雲尊者が宣揚した、「釈尊に帰れ」とも言うべき思想「正法律」の根本的指針として著した書。尊者は生涯、この指針に従って、仏教の本来を求め、仏僧としての「あるべきようわ」を貫き通した。

河口慧海 『在家仏教』

河口慧海が、出家者による仏教を完全否定した上で、純粋に在家信者としてのみ仏教を実践する事を主張した「在家仏教」を宣揚した書。

資延敏雄 「末法味わい薄けれども教海もとより深し」

高野山真言宗総本山金剛峰寺第411世座主・資延敏雄(すけのぶ びんゆう)が、『六大新報(2006新年号)』に寄稿し、その巻頭を飾った文。堕落の極みに達していると言える日本仏教の僧徒、特に真言宗の僧徒を痛烈に批判。僧侶としてあるべき姿に帰ることへの願いを披瀝している。

・ 目次へ戻る

6.『四分律』講説

『四分律』とは

『四分律』戒相

・ 目次へ戻る

7.『遺教経』講読

『遺教経』を読む

・ 目次へ戻る

8.『栂尾明恵上人遺訓(阿留辺幾夜宇和)』講読

明恵上人とは

『阿留辺幾夜宇和』とは

『阿留辺幾夜宇和』を読む

・ 目次へ戻る

・ トップページに戻る

メインの本文はここまでです。

メニューへ戻る


五色線

現在の位置

このページは以上です。