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訓読文 |
現代語訳
真言家末葉弟子等宿業故甚以愚迷也。須就文用意。仍以此文常置座右爲心驚之縁耳
語諸弟子等。凡出家修道本期佛果。不更要輪王梵釈家。豈況人間少少果報乎。發心遠渉非足不能。趣向佛道非戒寧到。必須顯密二戒堅固受持清浄莫犯。
所謂顕戒者三歸八戒五戒及聲聞菩薩等戒。四衆各有本戒。密戒者所謂三摩耶戒。亦名佛戒。亦名發菩提心戒。亦名無爲戒等。
真言家末葉[まつよう]の弟子等、宿業の故に、甚だもって愚迷なり。須[すべから]く文に就いて用意すべし。仍ってこの文をもって、常に座右に置いて心驚の縁となせ。
諸[もろもろ]の弟子等に語[つ]ぐ。凡[およ]そ出家修道は、もと仏果を期[ご]す。更に輪王梵釈の家*1を要めず。豈[あに]況[いは]んや、人間少少の果報をや。発心して遠渉せんには、足にあらざれば能はず。仏道に趣向せんには、戒にあらざれば寧[いずく]んぞ至らんや。必ず須く顕密の二戒堅固に受持して、清浄[しょうじょう]にして犯[ぼん]なかるべし。
いはゆる顕戒とは、三帰*2八戒*3五戒*4及び声聞[しょうもん]*5菩薩*6等の戒なり。四衆[ししゅ]*7に各本戒あり。密戒とはいはゆる三摩耶戒[さんまやかい]*8なり。または仏戒と名づけ、または発菩提心戒[ほつぼだいしんかい]と名づけ、または無為戒と名づくる等なり。
真言密教の教えを奉じる(空海より)後代の弟子達は、過去世になした(悪しき)行為のその結果として、非常に愚かで真理に暗い。是非とも(以下に記された弘法大師の教誡の)言葉にしたがうべきである。よってこの言葉を、常に座右のものとして心を誡める鏡とせよ。
もろもろの弟子達に告げる。そもそも出家して仏道を修行するのは、もとより最高の悟りを求めてのことである。まったく転輪聖王に生まれ変わって世界を治める為でも、梵天や帝釈天など強大な力ある神々として生まれ変わる為でもない。ましてや人の世の(名聞利養など)わずかばかりで、はかない安楽を求めること為などでは決してない。思い立って遠くに出かけるのには、足でなくては不可能である。(それと同じように)仏道を求めていくのに、戒によらないではどうして悟りに至る事が出来ようか。(仏道を志す者は)かならず当然のことながら顕教と密教とで(立場に応じて)説かれるそれぞれの戒を堅くしっかりと守り、戒に違わず戒を犯すことがあってはならない。
いわゆる顕戒とは、三帰依・八斎戒・五戒および声聞(の具足戒)や菩薩(の菩薩戒)などの戒である。(仏教の出家修行者の男・女、在家信者の男・女など、つまり仏教徒全体を意味する)四衆それぞれに異なる保つべき戒があるのだ。密戒とは、いわゆる三摩耶戒である。または仏戒と名づけ、または発菩提心戒と名づけ、または無為戒などと名づけられるものである。
*1 輪王梵釈の家…輪王とは、「転輪聖王[てんりんじょうおう]」の略で、インド古来の理想的王。武によってでなく、法によって世界を治めるとされる。梵と釈は、それぞれ「梵天」と「帝釈天」の略で、いずれもインドにおける強力な神々の一。ここでは、「来世に理想的王や強大な力をもつ神として生まれ変わること」を意味する。世俗的な欲望の究極の例として挙げられている。つづく「人間少少の果報をや」は、出世して財産を得るなど、世俗でのより良い暮らしを望む事を「少少」と言っている。→本文に戻る
*2 三帰[さんき]…「仏陀」と「仏陀の悟った真理とその教え」、「仏陀の教えに従って出家し修行する僧団」の三つに信を建てることを、表明すること。「三帰依」の略。ここで空海は顕戒の一つとしてこれをあげているが、三帰は戒ではない。三帰は、仏教徒であるならば誰であれ、通じて行うべき信仰表明であり、戒を受ける以前にしなければならないことであるから、ここに挙げたか。→本文に戻る
*3 八戒[はっかい]…「八斎戒」の略。在家仏教信者が一ヶ月のうち定まった6日間に保つべきとされる八つの戒め。これを「六斎日」という。その八つとは「殺生戒・偸盗戒・妄語戒・淫戒・飲酒戒・歌舞観聴戒・座臥高広大床戒・時食戒」。それぞれ「故意に生命を殺傷すること」「いまだ与えられていない他者の物を我が物とすること」「虚言」「性行為」「飲酒」「音楽や演劇、映画などの鑑賞」「立派なベッドや椅子でくつろぐこと」「正午を過ぎてから翌朝の日の出までの食事」を戒める。これは在家信者が、一時であっても出家者の生活に準じた生活を、寺院など出家者のもとで送り、ここで仏教を聴聞するなどして日々の生活の糧とすることを目的とするものである。在家信者が常に守るべき戒ではなく、基本的に六斎日にのみ守るべきものとされる。希望者のみがこれを受けて守るのであって、在家信者全般が守るべきものとはされていない。→本文に戻る
*4 五戒[ごかい]…在家仏教信者が保つべき五つの戒め。その五つとは、先の八斎戒の前五項目に同じ。もっとも、五戒の場合は、「婬戒」ではなく「邪淫戒(不倫や売買春など、よこしまな性交渉をしない)」であって、性行為そのものを戒めない。五戒は、在家信者の一般生活について言われるものであるから、当然と言えば当然であろう。→本文に戻る
*5 声聞[しょうもん]…小乗の出家修行者を指す。もっとも、本来は文字通り「教えを聞く人」の意で、これに大乗も小乗もなく、仏弟子全般を指す言葉。しかし、大乗ではこれを小乗のそれと見なし、自身達より低い境地に留まる者と見なす伝統がある。
声聞の戒とは、一般に「具足戒」といわれる「律」の事。これに、代表的なものとして250項目の禁止事項や規定があることから、「二百五十戒」などと言われる。出家修行者に限って説かれたもの。そもそも、戒と律とは根本的に異なるものであるが、中国以来、戒と律との意味の混同があり、訳語にそれが如実にあらわれている。律であるのに戒という訳語を用いているのである。古来、日本もそれを踏襲している。空海も、両者の違いを正確には理解していなかったことが、たとえば『三摩耶戒序』などによって知られる。→本文に戻る
*6 菩薩[ぼさつ]…「悟りを求める人」の意。特に大乗の修行によって最高の悟りを志向する者をこう呼ぶ。もっとも、小乗では、悟りを開く以前の釈尊を指す。
菩薩の戒とは、日本では一般的に『梵網経』に説かれる「十重四十八軽戒」を指す。また、これとほとんど似たものであるが、法相唯識では『瑜伽師地論(ゆがしじろん)』に説かれる「十重四十三軽戒」を説く。→本文に戻る
*7 四衆[ししゅ]…「比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷」の四つの集まり。それぞれ「男性出家修行者・女性出家修行者・男性信者・女性信者」を意味する。この言葉でもって「仏教徒全体」を意味する。もっとも、仏教徒は「七衆」と言い、その立場に応じて七つの別がある。これは、出家修行者に男性に二、女性に三と、五つの別があるためである。いずれにせよ仏教徒全体を指す言葉。→本文に戻る
*8 三摩耶戒[さんまやかい]…密教修行者の保つべき戒。顕教の戒と異なり、釈尊が説いたものでなくて、大日如来が説いた戒。いかなる内容のものかは『三昧耶戒序』に詳しい。→本文に戻る
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