真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 最澄 『末法燈明記』(2)

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1.原文

問云若爾者。千五百年之内行事如何。

答按大術經。佛涅槃後。初五百年。大迦葉等七賢聖次第住持。正法不滅。五百年後。正法滅盡。至六百年。九十五種外道競起。馬鳴出世。伏諸外道。七百年中。龍樹出世。摧邪見幢。於八百年。比丘縱逸。僅一二人。有得道果。至九百年。奴爲比丘。亦婢爲尼。一千年中。聞不淨観。瞋恚不欲。千一百年。僧尼嫁娶。毀謗毗尼。千二百年。諸僧尼等。倶有子息。千三百年。袈裟變白。千四百年。四部弟子。皆如獵師。賣三寶物。千五百年。倶腅彌國有二僧。互起是非。遂相殺害。仍教法藏於龍宮也。

涅槃十八。及仁王等。復有此文。準此等經文。千五百年後。無有戒定慧也。

故大集經五十一言。我滅度後。初五百年。諸比丘等。於我正法。解脱堅固。[初得聖果名爲解脱]次五百年。禅定堅固。次五百年。多聞堅固。次五百年。造寺堅固。後五百年。鬪諍堅固。白法隠沒云云

此意。初三箇五百年。如次。戒定慧三法堅固得住。即上所引。正法五百。像法一千。二時是也。造寺以後。幷是末法。

故基般若會釋云。正法五百年。像法一千年。此一千五百年後。行之正法滅盡。故知。造塔以後。幷屬末法。

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2.訓読文

問ふて云く若し爾らば、千五百年の内の行事は如何。

答ふ『大術経』を按ずるに、「仏涅槃の後、初の五百年には、大迦葉[だいかしょう]等の七賢聖[しちけんじょう]次第に住持して、正法滅せず。五百年の後、正法滅尽す。六百年に至りて、九十五種の外道競ひ起る。馬鳴[めみょう]出世して、諸の外道を伏す。七百年中に、龍樹[りゅうじゅ]出世して、邪見の幢を摧く。八百年に於て、比丘縱逸[じゅういつ]して、僅[わずか]に一二人、道果を得ること有り。九百年に至りて、奴[やっこ]を比丘と爲し、亦婢[はしため]を尼と爲す。一千年中には、不淨観を聞き、瞋恚[しんに]して欲せず。千一百年には、僧尼嫁娶して、毗尼[びに]を毀謗[きぼう]す。千二百年には、諸の僧尼等、倶[とも]に子息有り。千三百年には、袈裟白に変ず。千四百年には、四部の弟子、皆猟師の如し。三宝物を売る。千五百年には、倶腅彌國[くせんみこく]に二僧有り。互に是非を起して、遂に相ひ殺害す。仍て教法龍宮に蔵[かくれ]る」*1と。

『涅槃』の十八*2、及び『仁王』*3等に、復此文有り。此等の経文に準ずるに、千五百年後には、戒定慧*4あること無し。

故に『大集経』の五十一に言く。「我が滅度の後、初の五百年、諸の比丘等、我が正法に於て、解脱堅固なり。初に聖果を得、名ずけて解脱と爲す。次の五百年には、禅定堅固なり。次の五百年には、多聞堅固なり。次の五百年には、造寺堅固なり。後の五百年には、闘諍堅固なり。白法隠沒す*5云云

此意は、初の三箇び五百年は、次での如く、戒と定と慧との三法堅固にして住することを得。即ち上に引く所の、正法五百と、像法一千との二時是なり。造寺以後は、幷[ならび]に是末法なり。

故に基の『般若会釈』に云く。「正法五百年、像法一千年、此一千五百年の後は、行はるの正法滅尽す*6と。故に知ぬ。造塔以後は、幷に末法に屬することを。

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3.現代語訳

では聞こう。もしそうであるならば、(正法と像法の期間)千五百年の間における僧尼の行い・有り様はいかなるものであろうか。

答えよう。『大術経』の所説を調べると、「仏陀が涅槃された後、初めの五百年間は、大迦葉[だいかしょう]など七人の賢者・聖者が次々と現れ、仏陀の教えは正しく伝わって滅びなかった。その五百年が過ぎると、正しい仏陀の教えは滅びてしまった。(仏滅後)六百年になると、九十五種の仏教以外の思想を説く者が競うように現れる。(しかし、)馬鳴[めみょう]が世に現れて、それら諸々の外道を論破・屈服させる。七百年後から百年の間には、龍樹[りゅうじゅ]が現れて、仏教以外の(真理に違する)思想を論駁する。八百年後になると、比丘は放縦になって、わずか一人二人が、悟りに至る事があるばかりだ。九百年に至っては、(律に背いて)奴隷を比丘とし、女奴隷を比丘尼とするようになる。一千年後には、(僧尼達は、人の身体が穢れた執着するに足りないものだと知るための仏教の冥想法)不浄観の教えを聞くと、これに怒りを覚えて修めようとしない。一千百年には、僧・尼らは結婚して家庭を持つようになり、(仏陀の定めた)律を(「こんなものは用がない。役に立たない」などと)誹謗するようになる。千二百年には、諸々の僧尼らは、いずれも子供をもうけるようになる。千三百年には、(律によって汚く価値の無い色に染めるべきことが定められている)袈裟は純白のものが用いられるようになる。千四百年には、出家・在家の男女達は、皆まるで(殺生を生業とする汚らわしい)猟師のようである。三宝の所有物を売り飛ばす。千五百年後には、俱睒彌[カウサンビー]国に二人の僧がある。互いに論争となり、ついに互いに殺害するまでに至る。これによって(仏陀の)教えは竜宮に隠れてしまう」とある。

『涅槃経』の巻十八、および『仁王経』などに、またこの文がある。これらの経文の所説に従えば、千五百年後には、戒・定・慧(の三学が行われること)は無くなってしまっている。

よって『大集経』の巻五十一にこのように説かれている。「私が滅度した後、初めの五百年間は、諸々の比丘達は、私の正しい教えに従って、解脱に至る者が盛んにある。(割注:初めの聖果を得る事を、名づけて解脱という。)次の五百年間には、冥想に励む事が盛んである。次の五百年には、私の教えを熱心に学ぶ事が盛んである。次の五百年には、寺院を造営する事が盛んである。これ以降の五百年には、(仏教徒同士の)闘争が盛んに起こるようになる。(私の)教えは(社会から)隠れ没する」などと。

この(『大集経』の所説の)意味は、(仏滅後から)初めの千五百年間は、秩序をたもって、持戒と冥想と智慧との三つの修道法が盛んに行われるということである。つまり先ほど引用したところの、正法五百年と、像法一千年との二つの時代にあたるのである。寺院を造営することが盛んな時代以降、すなわちこれからが末法である。

よって窺基[きき]の『般若会釈』にこうある。「正法五百年間、像法一千年間、この一千五百年の後は、それまで行われていた仏陀の正しい教えは滅び去る」と。このことから知られるだろう。寺院を造営することが盛んな時代からは、末法の時代に属することが。

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4.語注

*1 仏涅槃の後云々…『大術経』なる経典は存在しない。この一節は、『摩訶摩耶経』巻下「佛涅槃後。摩訶迦葉共阿難結集法藏。事悉畢已。摩訶迦葉於狼跡山中入滅盡定。我亦當得果證。次第隨後入般涅槃。當以正法付優婆掬多。善説法要如富樓那廣説度人。又復勸化阿輸迦王。令於佛法得堅固正信。以佛舍利廣起八萬四千諸塔。二百歳已。尸羅難陀比丘。善説法要。於閻浮提度十二億人。三百歳已。青蓮花眼比丘。善説法要度半億人。四百歳已牛口比丘。善説法要度一萬人。五百歳已寶天比丘。善説法要度二萬人。八部眾生發阿耨多羅三藐三菩提心。正法於此便就滅盡。六百歳已。九十六種諸外道等。邪見競興破滅佛法。有一比丘名曰馬鳴。善説法要降伏一切諸外道輩。七百歳已。有一比丘名曰龍樹。善説法要滅邪見幢然正法炬。八百歳後。諸比丘等樂好衣服縱逸嬉戲。百千人中或有一兩得道果者。九百歳已。奴為比丘婢為比丘尼。一千歳已。諸比丘等聞不淨觀阿那波那瞋恚不欲。無量比丘。若一若兩思惟正受。千一百歲已。諸比丘等。如世俗人嫁娶行媒。於大眾中毀謗毘尼。千二百歳已。是諸比丘及比丘尼。作非梵行。若有子息。男為比丘。女為比丘尼。千三百歳已。袈裟變白不受染色。千四百歳已。時諸四眾猶如獵師。好樂殺生賣三寶物。千五百歳。俱睒彌國有三藏比丘。善歳法要徒眾五百。又一羅漢比丘。善持戒行徒眾五百。於十五日布薩之時。羅漢比丘。昇於高座説清淨法云。此所應作此不應作。彼三藏比丘弟子答羅漢言。汝今身口自不清淨。云何而反説是麤言。羅漢答言。我久清淨身口意業無諸過惡。三藏弟子聞此語已倍更恚忿。即於座上殺彼羅漢。時羅漢弟子而作是言。我師所説合於法理。云何汝等害我和上。即以利刀殺彼三藏。天龍八部莫不憂惱。惡魔波旬及外道眾踊躍歡喜。競破塔寺殺害比丘。一切經藏皆悉流移至鳩尸那竭國。阿耨達龍王悉持入海。於是佛法而滅盡也」(大正12,P1013中段-P1014上段)の略抄引用であろう。なぜ『大術経』なる経典の名を挙げたかは不明。
本文に「奴爲比丘。亦婢爲尼(奴を比丘と為し、亦婢を尼と為す)」とあって、仏教が荒廃しだした時代の証として用いているが、何故か。それは、奴隷の者(つまり誰かに所有されている状態の者)が比丘になるのは、律に禁じられた行為であるからである。現役の役人・軍人、誰かが所有するところの奴隷や負債を抱えている者、なんらかの感染症を患っている者などは、比丘あるいは比丘尼になれない。それら比丘・比丘尼になれない諸々の条件は、「十遮十三難」と言われ、計二十三の条件のうちいずれか一つでも抵触したら、人は授戒して比丘または比丘尼になることが出来ない。人が出家して比丘となるために具足戒を受けるときは、それら諸条件に抵触しないかを必ず尋ねられる。にも関わらず、その様な者を比丘や比丘尼にするということは、律の規定をサンガあるいは授戒に関わる比丘達が守らず、その秩序が乱れていることを示している。ちなみに、律の規定に従えば、それら諸条件に抵触していながら、あざむいて具足戒を受け比丘となった者が、後に虚偽であったことが発覚した場合は、その時点で比丘の身分を失い、サンガから追放される。
これに続いて様々に「比丘・比丘尼にあるまじき行為」の数々が列挙され、時代の荒廃していく様を予言として描いている。皮肉なことに、「不浄観(この世のすべては不浄であることを知る瞑想)を欲せず、これに怒る」・「僧侶でありながら妻帯する」・「律を(不要だ、時代錯誤だなどと)そしる」・「僧侶でありながら子供をもうける」・「白い袈裟を着用する」など、それらすべてが、少なくとも日本においてまさに現実のものとなっているから面白い。 →本文に戻る

*2 『涅槃』の十八…曇無讖訳『涅槃経』巻十八,「當爾之時我諸弟子。正説者少邪説者多。受正法少受邪法多。受佛語少受魔語多。善男子。爾時拘腅彌國有二弟子。一者羅漢。二者破戒」(大正12,P473下段)。
拘腅彌[コウサンビー]国に、阿羅漢と破戒僧との二人の僧があり、それぞれを信奉するグループがあった。しかし、破戒僧が、自分は阿羅漢であり波羅夷罪を犯してもかまわないとの説を仏陀が入滅するときに直接聞いたと主張。これに対し、真の阿羅漢が、涅槃時に仏陀はそのようなことを説いておらず、波羅夷罪を犯しても罪とならないなどという主張は非法であると反論すると、破戒僧を信奉する人々によって、阿羅漢は殺害されてしまったという。
上記『摩訶摩耶経』の説く仏滅後1500年の状況が、この「特殊な経典」にのみ説かれる説ではなくて、権威ある(?)『涅槃経』にも説かれていることを言いたいのであろう。→本文に戻る

*3 『仁王』…『仁王般若波羅蜜護国経(以下『仁王経』)』,「佛告波斯匿王。我誡勅汝等。吾滅度後。八十年八百年八千年中。無佛無法無僧。無信男無信女時。此經三寶。付囑諸國王四部弟子受持讀誦解義。爲三界衆生開空慧道。修七賢行十善行。化一切衆生。後五濁世比丘比丘尼四部弟子。天龍八部一切神王國王大臣太子王子。自恃高貴滅破吾法。明作制法制我弟子比丘比丘尼。不聽出家行道。亦復不聽造作佛像形佛塔形。立統官制衆安籍記僧。比丘地立白衣高坐。兵奴爲比丘受別請法。知識比丘。共爲一心親善比丘爲作齋會。求福如外道法。都非吾法。當知爾時正法將滅不久」(大正8,P833中段)を指しているのであろう。
しかし、「吾滅度後。八十年八百年八千年中。無佛無法無僧。無信男無信女時」とあるように、これをもって「仏滅後1500年」で末法が到来するという論拠にはなり得ないであろう。不適切な援用といえる。→本文に戻る

*4 戒定慧[かい・じょう・え]…「持戒」と「冥想」と「智慧」。これを一般に「三学(さんがく)」という。まず、戒を保った生活を送った上で、「止観(しかん)」という仏教の冥想を行い、その結果モノの真実を見極める「正しい認識」を得て養うという、仏道修行の基本的枠組みにして大原則。戒を保たなければ、冥想を行っても無駄であり、智慧を得る事もない。戒も守らず、冥想もしない仏教などありえない。
ここで注意しなければならない点が一つある。僧侶について、「持戒」・「破戒」と言われるとき、その「戒」とは、すなわち「律」を意味していることを知らなければならない。このことは、『末法燈明記』全編に通じて言えることであるから、よく意に留めよ。持戒を「道徳的徳目を守ること」などという意と解しては、まったく本書の意図が見えなくなるであろう。また、『末法燈明記』の意図する「破戒」が、律蔵のそれとは異なっている点にも注意する必要がある。律蔵では「些末」あるいは「問題なし」と言える行為でも、これを「破戒」だと糾弾している場合がある為である。
日本では一般に、宗教的規定や禁則事項全般を「戒律」などと言うことが多いが、戒と律とは相違する意味をもつ別々の言葉である。戒とは、「(良い)習慣」を原意とするサンスクリット「sīla[シーラ]」の漢訳語で、現代的には「道徳」を意味するものと捉えて差し支えない。もっとも、仏教においては具体的に、「五戒」「八斎戒」「十善戒」などの戒めをいう。出家・在家ともに説かれたもの。いずれにせよ、それらは他者からの強制によってでなく、自主的に守り、実行すべきものである。原則として、戒を受けた者が、そらを守っていないからといって、他者から何らかの罰則や規制をかけられることはない。
対して律とは、サンスクリット「vinaya[ヴィナヤ]」の漢訳語で、僧侶としての禁則事項・行動規定である。よって在家信者に律など無い。僧侶が重大な律に違反する行為をした場合、最悪はサンガから永久追放されて二度と出家することは出来なくなる。最も軽い違反であれば、ただ心の中で反省すれば良い。いずれにしろそれらを犯した場合、サンガからその罪に応じた罰則が与えられる。一般にそれら禁則事項は、中国において戒と律との違いが明確に把握されなかったことが訳語に反映されて、律でありながら戒の名を冠した「二百五十戒」や「具足戒」と呼称されることが多い。
さて、僧侶にとって「持戒」とは、律を守ることである。ただし、律とは物理的行動をのみ規制するものであり、心的行為を規制するものではない。僧侶の精神的な修養は、律を守った上で経典を学習し、冥想する事によってなされる。
律を最低限守ること(波羅夷罪を犯さないこと)は、僧侶としての義務であり、修行に不可欠の要件でもある。律を受けなければ人は比丘あるいは比丘尼になることは出来ない。しかし、この律を受けるには、その大前提として「律を守っている五人もしくは十人以上の僧侶達」の存在と、律の授受の伝統があることが不可欠である。一度この伝統が滅びると、その土地では仏教の正式な出家修行者である比丘となることが不可能あるいは非常に困難となる。→本文に戻る

*5 我が滅度の後云々…『大方等大集経(以下『大集経』)』「於我滅後五百年中。諸比丘等。猶於我法解脱堅固。次五百年我之正法禪定三昧得住堅固。次五百年讀誦多聞得住堅固。次五百年於我法中多造塔寺得住堅固。次五百年於我法中鬪諍言頌白法隱沒損減堅固」(大正13,P363中段)。→本文に戻る

*6 正法五百年云々…窺基『金剛般若論会釈(以下『般若会釈』)』「言後分者明非正法一千年内即證果時。言後五百年者。於其像法一千年内行欲滅時。非初五百年行盛興時。此後分四。一後時。初五百年。二後分。次五百年。三後五百歳。第三五百年。四正法將滅時分轉時。第四五百年。即行正法。後將滅時」(大正40,P736中段)の取意引用であろう。→本文に戻る

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