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原文 | 訓読文 |
現代語訳
問云若爾者。今世正當何時。
答滅後年代。雖有多説。且擧兩説。
一法上法師等。依周異記言。佛當第五主穆王滿五十三年壬申入滅。若依此説。從其壬申至我延暦二十年辛巳。一千七百五十歳。
二費長房等。依魯春秋。佛當周第二十一主匡王班四年壬子入滅。若依此説。從其壬子至我延暦二十年辛巳。一千四百十歳。
故知。今時是像法最末時也。彼時行事。既同末法。然則。於末法中。但有言教。而無行證。若有戒法。可有破戒。既無戒法。由破何戒。而有破戒。破戒尚無。何況持戒。
故大集云。佛涅槃後。無戒滿州云云。
問て云く若し爾らば、今の世は正く何の時に當るや。
答ふ滅後の年代に、多説有りと雖、且く両説を挙ぐ。
一には法上法師*1等、『周異記』*2に依りて言く。「佛第五の主穆王滿の五十三年壬申に當りて入滅す」*3と。若し此説に依れば、其壬申從り我が延暦二十年辛巳に至るまで、一千七百五十歳なり。
二には費長房*4等、魯『春秋』*5に依りて、「佛周の第二十一主匡王班の四年壬子に當りて入滅す」*6と。若し此説に依れば、其壬子從り我が延暦二十年辛巳に至るまで、一千四百十歳なり。
故に知ぬ、今の時は是像法最末の時なることを。彼時の行事は、既に末法に同ず。然れば則ち、末法中に於て、但言教のみ有りて、而も行證無し。若し戒法有れば、破戒有るべし。既に戒法無し。由りて何の戒を破するに、而も破戒有らん。破戒尚に無し。何に況や持戒をや。
故に『大集』に云く、「佛涅槃の後には、無戒州に滿つ」*7云云。
では聞こう。もしそうであるならば、今の世(平安初期)はどの時代にあたるのか。
答えよう。釈尊が滅後された年代には、諸説があるが、ここでは一応二つの説を挙げる。
一つには法上法師などが、『周書異記』を根拠とする説。「釈尊は(周の)第五代王たる穆王滿の五十三年壬申(西暦:紀元前949年)に入滅した」と。もしこの説に依れば、その壬申の年より日本の延暦二十年辛巳(西暦:801年)までで、一千七百五十年である。
二つ目は費長房などが、『春秋』を典拠として、「釈尊は周の第二十一代王たる匡王班の四年壬子になって入滅した」と主張する。もしこの説に依れば、その壬子の年より日本の延暦二十年辛巳までで、一千四百十年である。
これによって知られるだろう。今の時は像法の末期の時代であることが。像法末期の僧徒の行い・有り様は、すでに末法と同様である。それはつまり、末法の中にあっては、ただ口だけ言葉の上だけの教えはあっても、修行されることも悟りに至ることも無いということである。もし戒律の伝統があってその授受が行われていれば、戒律を破るということも可能であろう。しかし既に戒律の伝統は滅びている。であるからどの戒律の項目を犯して、破戒だというのか。(戒律の授受が無いのだから)戒律を破る事もないのだ。どうして戒律を守るなどということがありえようか。
よって『大集経』にこう説かれている。「仏陀が入滅された後には、戒律を破るどころか受けた事すらもない僧徒が世界にあふれる」などと。
*1 法上法師…地論宗南道派の中心的人物。6世紀に活躍した。僧統(日本で言う僧綱)として僧尼・寺院を統括する立場にあった。漢訳経典の目録『衆経目録』(現存しない)の編者。→本文に戻る
*2 『周異記』…『周書異記[しゅうしょいき]』。中国周代における正史には記載されない異聞が記されたもの。唐代の初め、儒教に対する仏教の優位性を主張する為に、偽作されたものという。現存しない。→本文に戻る
*3 「佛第五の主」云々…法上の著作も『周書異記』も現存しないため、直接確認できない。しかし、668年成立の『法苑珠林』では、仏滅を「周穆王五十三年」(大正53,P378中段)とする『周書異記』の説を挙げている。これによって、間接的にその様な説があった事が知られる。また、これは8世紀末に編された禅宗の史書であるが、『歴代法宝記』に「周書異記曰。昭王甲寅歳佛生。穆王壬申歳佛滅」(大正51,P179上段)との説を挙げている。ちなみに、穆王五十三年は、西暦で言えば紀元前949年。→本文に戻る
*4 費長房[ひちょうぼう]…四川省成都の人。若くして出家するも、北周の武帝の廃仏にあって強制的に還俗させられた。その後、隋の文帝に召されて都の長安に入り、翻経学士(在家の翻訳官)として訳経に従事。漢訳経典の目録『歴代三法記』を著した。→本文に戻る
*5 魯『春秋』…中国春秋時代の史書。魯(現:山東省)の史家が遺した記録に、孔子が加筆したとされるもの。魯の隠公元年(前722)から哀公14年(前481)までの編年史。のちに、この注釈書として『公羊伝』・『穀梁伝』・『左氏伝』の三伝が作られた。→本文に戻る
*6 「佛周の第二十一主」云々…『歴代三宝記』「佛以匡王四年壬子二月十五日後夜。於中天竺拘尸那城入般涅槃」 (大正49,P23下段)。→本文に戻る
*7 「佛涅槃の後には」云々…『大集経』に、この通りの一節はない。また類似する一節もない。『大集経』の説く末法の趣意を言っているにしても、飛躍に過ぎる。あるいは「從是以後於我法中。雖復剃除鬚髮身著袈裟。毀破禁戒行不如法假名比丘」(大正13,P363中段)の下りを指しているか。いずれにせよ杜撰な引用と言える。考えにくいことであるが、あるいは著者の参照した経本にこの一文があったか。→本文に戻る
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