真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 最澄 『末法燈明記』(5)

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1.原文

問云。伏觀前文。破戒名字。莫不眞寶。何故。涅槃大集等經。國王大臣。供破戒僧。國起三災。遂生地獄。破戒尚爾。何況無戒。爾如來於一破戒。或毀或讚。豈一聖之文。有兩判之失。

答此理不然。涅槃等經。且制正法之世破戒。非於像末代之比丘。其名雖同。而時有異。随時制許。是大聖旨。故於世尊。無兩判失。

問云若爾。何知涅槃等經。但制止正法所有破戒。非像末僧。答如所引大集所説。八重眞寶。是其證也。皆爲當時無價寶故。但正法時。破戒比丘。穢清淨衆故。佛固禁制不入衆。

所以然者。涅槃第三云。如來今以無上正法。付屬諸王。大臣。宰相。比丘。比丘尼。優婆塞。優婆夷。是諸國王大臣及四部衆。應當勸勵諸學人等。令得増長上定戒智慧。若有不學是三品法懈怠破戒。毀正法者。王者大臣。四部之衆。應當苦治。如是王臣等。得無量功徳。當無有小罪。我涅槃後。隨其方面。有持戒比丘。護持正法。見壊法者。即能駈遣。呵嘖戀治。是我弟子。眞聲聞也。當知。是人得福無量。若善比丘。見壊法者。置不呵責駈遣擧處。當知。是人佛法中怨。

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2.訓読文

問て云く。伏して前の文を観るに、破戒名字も、真宝にあらざること莫しと。何が故に。『涅槃』『大集』等の経には、「国王大臣、破戒の僧に供すれば、国に三災起り、遂には地獄に生ず」*1と云へり。破戒尚ほ爾なり。何に況や無戒をや。爾らば如來一の破戒に於て、或は毀し或は讃す。豈一聖の文に、両判の失有らんや。

答ふ此理然らず。『涅槃』等の経は、且く正法の世の破戒を制す。像末代の比丘に非ず。其名は同じと雖、而も時に異り有り。時に随ひて制し許す。是大聖の旨なり。故に世尊に於て、両判の失無し。

問て云く若し爾らば、何ぞ『涅槃』等の経は、但正法所有の破戒を制止して、像末の僧に非ずと知らんや。

答ふ引く所の『大集』所説の、八重の真宝の如きは、是其証なり。皆当時の無価の宝爲るが故に。但正法の時には、破戒の比丘、清淨の衆を穢すが故に、仏固く禁制して衆に入らしめず。

然る所以は、『涅槃』第三に云く。「如來今無上の正法を以て、諸王、大臣、宰相、比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷に付屬す。是の諸国王大臣及び四部の衆、當に諸学人等を観励して、増上の定戒智慧を得しむべし、若し是の三品の法を学せず懈怠し破戒して、正法を毀しる者有らば、王者大臣、四部の衆、当に苦[ねんご]ろに治すべし。是の如き王臣等は、無量の功徳を得て、当に小罪有ること無かるべし。我が涅槃の後、其方面に隨ひ、持戒の比丘有りて、正法を護持し、法を壊する者を見ては、即ち能く駈遣[くけん]し、呵嘖[かしゃく]し懲治[ちょうぢ]せん。是我が弟子、真の声聞なり。當に知るべし。是の人は福を得ること無量なり。若し善比丘ありて、法を壊する者を見て、置きて呵責し駈遣し挙処せずんば、当に知るべし。是の人は仏法の中の怨なり」*2と。

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3.現代語訳

聞こう。慎んで先ほどの(最澄がその主張の典拠とした『大集経』の)文を読んだところ、破戒の比丘も(無戒の)名字の比丘も、まことに尊い無上の宝であるという。(しかし、では)何故に、『涅槃経』や『大集経』などの経典には、「国王や大臣が、破戒の比丘に供養することがあれば、国に(水災・火災・風災という)三つの災いが起こり、来世には地獄に生まれ変わる」と説かれているのか。破戒の比丘ですらそのような災いをもたらす元となるのである。「無戒の比丘などというもの」なら尚一層ひどいことになろう。ということは釈迦如来が「破戒(の比丘)」ということについて、一方では批判し、他方で賞賛していることになる。どうして同一の経典の文中において、まったく矛盾した二律背反の主張がなされているという過失があろうか。(仏陀がそのような過失を犯すはずがないであろうに。)

答えよう。あなたの主張には誤りがある。『涅槃経』などの経典は、仮に「正法の世」における破戒僧を禁じたものである。像法・末法の比丘について説かれたものではない。(比丘という)その名称は同じであっても、時代によって(その在り方には)異なりがあるのだ。その時代・時流に適合するように禁止されたり許可されたりするのが、釈尊のご趣旨である。よって釈尊のお言葉に、二律背反の過失あるものなどない。

聞こう。もしそうであれば、一体どうして『涅槃経』などの経典が、ただ正法の世における破戒の僧のみに限って禁じ罰しているのであって、像法・末法の世の比丘については除外されるなどと知り得るのか。

答えよう。私が引用した『大集経』所説の、八段階のまことに尊き無上の宝というものが、その証左・根拠である。それらすべてが、その時代に応じた無上の宝である。ただ正法の時代では、破戒の比丘の存在は、(戒律を厳格に保って生活しているところの)清浄なるサンガの秩序を乱すものであるから、仏陀は厳に(重大な破戒行為をした比丘を追放・還俗させるなどして)禁じてサンガの成員とすることは無かったのである。

このように言える根拠は、『涅槃経』第三にこうあるからだ。「如来はいま無上の正法を、諸々の王・大臣・宰相・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に、教え授けた。これら(仏陀から親しく説法を受けた)諸々の国王・大臣や(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷という)四部の者たちは、諸々の学道の人に(仏陀の教えを)説き勧めて、大いなる瞑想と持戒と智慧とを獲得させよ。もしこれら(瞑想と持戒と智慧との)三品[さんぼん]の教えを学び実行することなく怠け、非道徳の行いをなし、仏陀の正しい教えを誹謗・中傷する者があれば、王者や大臣、四部の者たちよ、(そのような者らを)ねんごろにその行いを改めさせよ。このような王者や大臣などは、計り知れない功徳を得て、少しの過失などもないであろう。私(釈尊)が死去した後には、仏教が広まった土地土地で、持戒の比丘があり、正法を守り伝え、(比丘の中で)私の教えを歪めさせる者があれば、ただちに追放や別住させたり、厳しく咎めて罰したり許したりするであろう。このような者こそが私の弟子、まことの「教えを聞く者」である。かく知るべきである、このような人は福徳を得ることが計り知れないと。もし持戒の比丘がありながら、私の教えを歪める者を見ても、これを放置し、厳しく咎めもせず、追放などにも処せず、その罪を告発もせずにおく者があれば、それをこのように認識しなさい。その者は仏法における仇(獅子身中の虫)であると」と。

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4.語注

*1 「国王大臣、破戒の僧に」云々…三災とは、「火災・水災・風災」の三つの災害(おそらくはただの災害でなく「大災害」を意味)。 『涅槃経』・『大集経』に三災は説かれているが、国王や大臣が破戒僧に供養をすることによって国に三災が起こり、ついには地獄に落ちるなどとする説はない。
余談ながら、『倶舎論[くしゃろん]』では、宇宙的に起こる三つの災いであるといい、これに大小の別があるという。宇宙の住劫(安定期)末期に起こるという「刀杖災・疾疫災・飢饉災」の小三災と、宇宙の壊劫(破壊期)末期におこるという「火災・水災・風災」の大三災と説いている(大正29,P213下段)。→本文に戻る

*2 「如来今無上の正法を」云々…この引用文は、なぜか経文の位置関係を前後させている。曇無讖訳『涅槃経』「如來今以無上正法。付囑諸王大臣宰相比丘比丘尼優婆塞優婆夷。是諸國王及四部衆。應當勸勵諸學人等。令得増上戒定智慧。若有不學是三品法懈怠破戒毀正法者。王者大臣四部之衆應當苦治。善男子。是諸國王及四部衆當有罪不」(大正12,P381中段)。「我涅槃已隨其方面有持戒比丘。威儀具足護持正法。見壞法者。即能驅遣呵責徴治。當知是人得福無量不可稱計」「若善比丘見壞法者。置不呵責驅遣擧處。當知是人佛法中怨」(大正12,P381上段)。参考までに、慧厳訳『涅槃経』も挙げておく。「如來今以無上正法付囑諸王大臣宰相比丘比丘尼優婆塞優婆夷。是諸國王及四部衆。應當勸勵諸學人等令得増上戒定智慧。若有不學是三品法懈怠破戒毀正法者。國王大臣四部之衆應當苦治。善男子。是諸國王及四部衆當有罪不」(大正12,P621上段)。「我涅槃後隨其方面。有持戒比丘威儀具足護持正法。見壞法者即能驅道呵責糺治。當知是人得福無量不可稱計」「若善比丘見壞法者。置不驅遣呵責擧處。當知是人佛法中怨」(大正12,P620下段)。
■四部の衆とは、「優婆塞・優婆夷・比丘・比丘尼」のことで、もって仏教徒全てを指す言葉。詳細は「戒律講説-律について-七衆」を参照のこと。→本文に戻る

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