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序説 ・凡例 |
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現代語訳
本朝沙門最澄撰
そもそも真理を守り従って、(みずから悟った真理で)もって人々を教導する者は(出世間の長たる)法王である。(仁政によって)天下を治め、その(徳の)風を世界に吹かせる者は(世間の長たる)仁王である。であるから、仁王と法王とが、互いに(その徳を世界に)顕しあって万物(の真理)を明らかにし、真諦と俗諦とが、たがいに連携して(仏の)教えを広めていく。これによって仏典は世界中に伝わり、喜ばしい政治が天下に布かれるのだ。
(ところが)いまや愚僧(たる最澄)などは、天網(のように朝廷の張り巡らせた法律「律令格式」)に従い、そのあまりに厳しい科刑にかしこまって恐れおののいている。(そんな状況であるから、私達僧は、)落ち着き安心する一時すらもないほどである。
ところで仏陀の教えには三時(という時代毎の興廃)がある。人には三品(という気質や能力の別)がある。(仏陀の説いた)教えと戒律の趣旨は、その時代ごとに(適切なものが説かれているから時代が異なれば)変わり、(それについての)非難あるいは賞賛の文言も、人によって様々に取捨される。そもそも(中国の聖人達の伏儀の上古・周公の中古・孔子の下古といった)三古の運も、その盛衰は一様ではなかった。仏がその生涯で五つの段階を設けてそれぞれ適応する能力ごとに分けて説かれたから、人の智慧の高さや悟りの深さにも異るのだから、どうして一つの方法によって(人々が正しい方向へと)調い、また一つの理でもって導くことが出来ようか。(いや、そんなことは出来はしないのである。)
そこで正法・像法・末法(と仏陀の教え)が段階的に荒廃することを詳細にし、あるいは僧の破戒と持戒の行為を明らかにする。その過程で(私最澄は)三つの段階を踏んでいる。初めに正法・像法・末法の年代を決定し、次に僧における破戒と持戒の定義をし、最後に経典を挙げてその説の正しいことを確認する。
初めに正法・像法・末法の年代を決定するが、これに諸説あって不同である。(いまは)仮に(その中の)一説を述べよう。窺基は、(その著『観弥勒上生兜率天経賛』にて)『賢劫経』を引用してこのような説を述べている。「仏涅槃の後、正法は五百年間、像法は一千年間、この千五百年の後に、釈迦の教えは滅びる。(『賢劫経』では)末法を説いていない」と。(窺基の)他の所説によれば、(『般若会釈』に)「尼僧が八敬法を実行せず怠け堕落したがために、(一千年正しく行われたはずの)仏陀の教えが(五百年以上は)長く世に行われなくなった」とある。よって窺基の説は採らない。
また『涅槃経』に、「末法の中にあって、十二万の大菩薩達があり、仏陀の教えを保って滅することがない」と説かれている。(しかし、)これは(「大菩薩」という修行を積んだ)上位の者について言われたことであるからまた採用しない。
では質問しよう。もしそうならば、(正法と像法の期間)千五百年の間における僧尼の行い・有り様はいかなるものであろうか。
答えよう。『大術経』(『摩訶摩耶経』)の所説を調べると、「仏陀が涅槃された後、初めの五百年間は、大迦葉[だいかしょう]など七人の賢者・聖者が次々と現れ、仏陀の教えは正しく伝わって滅びなかった。その五百年が過ぎると、正しい仏陀の教えは滅びてしまった。(仏滅後)六百年になると、九十五種の仏教以外の思想を説く者が競うように現れる。(しかし、)馬鳴[めみょう]が世に現れて、それら諸々の外道を論破・屈服させる。七百年後から百年の間には、龍樹[りゅうじゅ]が現れて、仏教外の真理に違った思想を論駁する。八百年後になると、比丘は放縦になって、わずか一人二人が、悟りに至る事があるばかりだ。九百年に至っては、(律に背いて)奴隷を比丘とし、女奴隷を比丘尼とするようになる。一千年後には、(僧尼達は、人の身体が穢れた執着するに足りないものだと知るための仏教の冥想法)不浄観の教えを聞くと、これに怒りを覚えて修めようとしない。一千百年には、僧・尼らは結婚して家庭を持つようになり、(仏陀の定めた)律を(「こんなものは用がない。役に立たない」などと)誹謗するようになる。千二百年には、諸々の僧尼らは、いずれも子供をもうけるようになる。千三百年には、(律で定められた汚く価値の無い色に染めるべき)袈裟は純白のものが用いられるようになる。千四百年には、出家・在家の男女達は、皆まるで(汚らわしい)猟師のようである。三宝の所有物を売り飛ばす。千五百年後には、俱睒彌[カウサンビー]国に二人の僧がある。互いに論争となり、ついに互いに殺害するまでに至る。これによって(仏陀の)教えは竜宮に隠れてしまう」とある。
『涅槃経』の巻十八、および『仁王経』などに、またこの文がある。これらの経文の所説に従えば、千五百年後には、戒・定・慧(の三学が行われること)は無くなってしまっている。
よって『大集経』の巻五十一にこのように説かれている。「私が滅度した後、初めの五百年間は、諸々の比丘達は、私の正しい教えに従って、解脱に至る者が盛んにある。(割注:初めの聖果を得る事を、名づけて解脱という。)次の五百年間には、冥想に励む事が盛んである。次の五百年には、私の教えを熱心に学ぶ事が盛んである。次の五百年には、寺院を造営する事が盛んである。これ以降の五百年には、(仏教徒同士の)闘争が盛んに起こるようになる。(私の)教えは(社会から)隠れ没する」などと。
この(『大集経』の所説の)意味は、(仏滅後から)初めの千五百年間は、秩序をたもって、持戒と冥想と智慧との三つの修道法が盛んに行われるということである。つまり先ほど引用したところの、正法五百年と、像法一千年との二つの時代にあたるのである。寺院を造営することが盛んな時代以降、すなわちこれからが末法である。
よって 窺基[きき]の『般若会釈』にこうある。「正法五百年間、像法一千年間、この一千五百年の後は、それまで行われていた仏陀の正しい教えは滅び去る」と。このことから知られるだろう。寺院を造営することが盛んな時代からは、末法の時代に属することを。
では聞こう。もしそうであるならば、今の世(平安初期)はどの時代にあたるのか。
答えよう。釈尊が滅後された年代には、諸説があるが、ここでは一応二つの説を挙げる。
一つには法上法師などが、『周書異記』を根拠とする説。「釈尊は(周の)第五代王たる穆王滿の五十三年壬申に入滅した」と。もしこの説に依れば、その壬申の年より日本の延暦二十年辛巳までで、一千七百五十年である。
二つ目は費長房などが、『春秋』を典拠として、「釈尊は周の第二十一代王たる匡王班の四年壬子になって入滅した」と主張する。もしこの説に依れば、その壬子の年より日本の延暦二十年辛巳までで、一千四百十年である。
これによって知られるだろう。今の時は像法の末期の時代であることが。像法末期の僧徒の行い・有り様は、すでに末法と同様である。それはつまり、末法の中にあっては、ただ口だけ言葉の上だけの教えはあっても、修行されることも悟りに至ることも無い。もし戒律の伝統があってその授受が行われていれば、戒律を破るということもあるだろう。しかし既に戒律の伝統は滅びている。であるからどの戒律の項目を犯して、破戒だというのか。(戒律の授受が無いのだから)戒律を破る事もないのだ。どうして戒律を守るなどということがありえようか。
よって『大集経』にこう説かれている。「仏陀が入滅された後には、戒律を破るどころか受けた事すらもない僧徒が世界にあふれる」などと。
聞こう。諸々の経典や律典の中では、あらゆる面から(波羅夷罪や僧残罪などを犯した)破戒の者を罰して、僧伽の中に留めることを許してはいない。破戒した者はこの様に厳しく罰せられるのである。まして無戒の者がサンガの成員(つまり僧侶)たり得る訳などない。しかし、(あなたは先ほどから)再三にわたって末法の世における「無戒の僧」などというものについて論じている。どうしてありもしない瘡蓋[かさぶた]を剥くことが出来るというのか。
答えよう。あなたの言い分は誤っている。正法・像法・末法それぞれの時代における僧侶の有り様については、様々に諸々の経典に説かれているのだ。仏教や(儒教・道教など)その他の宗教の僧侶および在俗信者で、それらを読んでいない者があるというのか。(いや、そのような者はいないのである。)(皆がそのように自明なこととしているのに、)どうして(出家たる者が)自身の邪[よこしま]な生活を貪り求めて、国家を保ち安定させるところの正しい教え(仏教)を故意に衰退させるというのか。もっとも今(私が)主張しているのは、末法にはただ「名字の比丘(形ばかり・名ばかりの出家修行者)」しか存在していないということである。この「名字の比丘」を世間における掛け替えのない宝とする以外、他に(世間に平安という実りをもたらす)福田は無い。たとえ末法の世にあって、戒律を厳に守っている者があったとしたら、それはもはや正気の沙汰ではない。市街地に虎(の様な猛獣)が現れるようなものである。この様な者を誰が信じるというのか。
聞こう。正法・像法・末法における僧侶たちの有様について、すでに諸々の経典に説かれていることは確認した。では末法における(形ばかり・名ばかりの出家者)「名字の比丘」を、世間の真の宝とすることは、どの聖典に根拠があるというのか。
答えよう。『大集経』第九巻にこう説かれている。「例えば本物の黄金を(値が付けられないほどの)無上の宝とするようなものである。もし本物の黄金が無ければ、銀をもって至上の宝とする。もし銀が無ければ、真鍮や偽物の宝をもって至上の宝とする。もし偽物の宝も無ければ、赤白色の銅や鉄、白銅・鉛・錫を、至上の宝とする。このように、ありとあらゆる世間では、仏法は至上の宝である。もし仏法が無ければ、(劣った教えである小乗の一種たる)縁覚の教えが無上の宝である。もし縁覚の教えが無ければ、(劣った教えである小乗の一種たる)阿羅漢の教えが無上の宝である。もし阿羅漢の教えも無ければ、その他の賢者・聖衆をもって、無上の宝とする。もしその他の賢者・聖衆も無ければ、冥想によって平安への入り口の境地に至った凡夫をして、無上の宝とする。もしそのような凡夫もいなければ、戒律の規定を厳に保つ者をして、無上の宝とする。もし戒律の規定を厳に保つ者が無ければ、破戒の比丘をもって、無上の宝とする。もし破戒の比丘すら無ければ、(戒を受けることなく)ヒゲと髪を剃り、身に袈裟をまとうだけの、名ばかりの比丘を、無上の宝とする。(形ばかり・名ばかりの比丘であったとしても、)仏教以外の九十五種の思想家・宗教者と比較したならば、最上の存在である。まさに世間からの供養を受け、(その果報として善果をもたらす)福田となるであろう。なんとなれば、出家者と言いながらまったく形ばかり・名ばかりであるというその存在自体が、生きとし生けるものから怖れられるものだからである。もし(名字の比丘を)後援し支援し大切にすることがあれば、その人はそう遠くない将来、(あらゆるモノには実体の無い、移ろい行く「空」なるものであるという真理を認識する)「無生法忍[むしょうほうにん]」という境地に至ることが出来るだろう」と。以上が経文からの引用
この経典にある文中に、八段階で無上の宝が説かれている。いわゆる、如来と、縁覚と、(阿羅漢たる)声聞とおよび(不還・一来・預流という阿羅漢果に至るまでの)前の三つの境地と、冥想によって平安への入り口の境地に至った凡夫と、持戒の比丘と、破戒の比丘と、無戒の名字の比丘とが、この順番のまま、それぞれが正法・像法・末法という時に見合った無上の宝である。初めの四つは正法の時の無上の宝。次の三つは像法の時の。最後の一つは末法の時の無上の宝である。このようなことから明瞭に知られるだろう。破戒の比丘・無戒の比丘であっても、それらは誠に世の宝であることが。
聞こう。慎んで先ほどの(最澄がその主張の典拠とした『大集経』の)文を読んだところ、破戒の比丘も(無戒の)名字の比丘も、まことに尊い無上の宝であるという。(しかし、では)何故に、『涅槃経』や『大集経』などの経典には、「国王や大臣が、破戒の比丘に供養することがあれば、国に(水災・火災・風災という)三つの災いが起こり、来世には地獄に生まれ変わる」と説かれているのか。破戒の比丘ですらそのような災いをもたらす元となるのである。「無戒の比丘などというもの」なら尚一層ひどいことになろう。ということは釈迦如来が「破戒(の比丘)」ということについて、一方では批判し、他方で賞賛していることになる。どうして同一の経典の文中において、まったく矛盾した二律背反の主張がなされているという過失があろうか。(仏陀がそのような過失を犯すはずがないであろうに。)
答えよう。あなたの主張には誤りがある。『涅槃経』などの経典は、仮に「正法の世」における破戒僧を禁じたものである。像法・末法の比丘について説かれたものではない。(比丘という)その名称は同じであっても、時代によって(その在り方には)異なりがあるのだ。その時代・時流に適合するように禁止されたり許可されたりするのが、釈尊のご趣旨である。よって釈尊のお言葉に、二律背反の過失あるものなどない。
聞こう。もしそうであれば、一体どうして『涅槃経』などの経典が、ただ正法の世における破戒の僧のみに限って禁じ罰しているのであって、像法・末法の世の比丘については同様でないなどと知り得るのか。
答えよう。私が引用した『大集経』所説の、八段階のまことに尊き無上の宝というものが、その証左・根拠である。それらすべてが、その時代に応じた無上の宝である。ただ正法の時代では、破戒の比丘の存在は、(戒律を厳格に保って生活しているところの)清浄なるサンガの秩序を乱すものであるから、仏陀は厳に(重大な破戒行為をした比丘を追放・還俗させるなどして)禁じてサンガの成員とすることは無かったのである。
このように言える根拠は、『涅槃経』第三にこうあるからだ。「如来はいま無上の正法を、諸々の王・大臣・宰相・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に、教え授けた。これら(仏陀から親しく説法を受けた)諸々の国王・大臣や(比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷という)四部の者たちは、諸々の学道の人に(仏陀の教えを)説き勧めて、大いなる瞑想と持戒と智慧とを獲得させよ。もしこれら(瞑想と持戒と智慧との)三品[さんぼん]の教えを学び実行することなく怠け、非道徳の行いをなし、仏陀の正しい教えを誹謗・中傷する者があれば、王者や大臣、四部の者たちよ、(そのような者らを)ねんごろにその行いを改めさせよ。このような王者や大臣などは、計り知れない功徳を得て、少しの過失などもないであろう。私(釈尊)が死去した後には、仏教が広まった土地土地で、持戒の比丘があり、正法を守り伝え、(比丘の中で)私の教えを歪めさせる者があれば、ただちに追放や別住させたり、厳しく咎めて罰したり許したりするであろう。このような者こそが私の弟子、まことの「教えを聞く者」である。かく知るべきである、このような人は福徳を得ることが計り知れないと。もし持戒の比丘がありながら、私の教えを歪める者を見ても、これを放置し、厳しく咎めもせず、追放などにも処せず、その罪を告発もせずにおく者があれば、それをこのように認識しなさい。その者は仏法における仇(獅子身中の虫)であると」と。
また『大集経』の巻二十八にこのようにある。「もし国王が、私の教えが衰滅していくのを見ていながら、放置して保護・援助することがなければ、計り知れない未来世において、(その国王が)布施や持戒・智慧など(修行して善行を)行ったとしても、国内では三種の不祥事が起こり、死して後には大地獄に生まれ変わる」と。また『大集経』の巻三十一にはこうある。「仏陀が説かれるには、「大王は(私の教えのままに修行する)持戒の比丘がただ一人であってもこれを擁護・後援して、数え切れないほどのその他大勢の悪比丘を支えてはならない。私は今、ただ二種の(境地に至った)人のみが(大王から)支持・後援されることを許そう。一つは阿羅漢であり、彼は(四禅八定などと言われる)八段階の瞑想の境地すべてを獲得して悟りに至った者である。二つには(預流などとも言われる、小乗の第一段階の)聖者の境地に至った者である」などと。
この様な(破戒の比丘を罰して許さない)禁則は、(経典の中で)そこかしこ数多く説かれている。(しかし、)それらすべては正法の世における明確な禁則であって、像法・末法に通用する仏の教えではない。この様に言い得る根拠は、像法・末法の世では、正法が実行されることもなく、(仏陀の教えを誹謗しようにも)誹謗し得る「教え」すら存在しないのである。(そんなことであるから、末法の世に破戒・無戒の比丘があったとしても)どうしてそれを「毀法(仏法を誹謗し歪める者)」などと名付けることが出来ようか。(戒律を破ろうにも戒律自体が伝わってないのであるから)破り得る戒律もないのだ。(正法の世では破戒・無戒などと言われる比丘があったとしても)誰がこれを「破戒(の比丘)」などと呼ぶことが出来るのか。またその時代の大王は、守護すべき「教え」が無いのである。どのような行いによって国に三つの災いが起こり、あるいは大王の布施・持戒・智慧という善行を帳消しにしてしまうというのか。(像法・末法では、そのような悪果をもたらしうる原因すらも無いのだ。)また像法・末法の時代では、修行して悟りや聖者の境地に至る者など存在しない。どうやって(王は、『大集経』で説かれているような)二種の聖者を守護・後援しえるというのか。この様なことからこう結論できる。上に挙げた経典の所説は、すべて正法の世における、「持戒」ということが可能な時代、「破戒」ということが可能な時代についてのみ説かれたものであると。
次に像法の一千年間における、はじめの五百年間は、持戒の比丘が次第に減少し、破戒の比丘が次第に増加していく。戒の伝統とその授受、持戒の比丘があったとしても、悟りや聖者の境地に至ることは出来ないのだ。
よって『涅槃経』の巻七に説かれている。「迦葉菩薩が、釈尊に語って言うには、「世尊よ、あなたが説かれたように、「魔」というものには(五蘊魔[ごうんま]・煩悩魔・死魔・天魔という)四種あります。(その中でも)天魔の説く教えと仏陀の説かれた教えとを、私はいかにして見分ければ良いでしょうか。あらゆる生き物の中では、天魔の教えに従う者もあれば、仏陀の教えに従う者もあります。この様な者たちも、またどのように見分けられるのでしょう」。仏陀は迦葉にお答えになった。「私が死去して、七百年の後、(天魔たる)魔王波旬[パーピヤス]が次第に勢力を持つようになり、我が正法を妨げて破壊しようとするであろう。例えば(殺生を生業とする者たる)猟師が、袈裟を身にまとうようなものである。魔王波旬[パーピヤス]も、またその様なものである。比丘の姿、比丘尼の姿、優婆塞・優婆夷の姿、あるいは(小乗の聖者の階梯の第一段階)預流の聖者の姿をとって現れ、さらに阿羅漢の姿や仏陀の姿をもして現れるであろう。魔王は煩悩まみれの身でありながら、煩悩を離れた者たちの姿に化け、私の教えを滅ぼそうとするであろう。この天魔たる波旬[パーピヤスは]、私の教えを滅ぼさんとして、この様に語るであろう。「仏陀が舎衛国[サーヴァッティー]は祇園精舎[ぎおんしょうじゃ]に在ったとき、諸々の比丘に対し、奴隷や従僕、牛・羊・象・馬、および銅や鉄の鍋や釜、大小の銅盤など、所有することを許された。田を耕し苗を植えるなど農業に従事し、商品の売買など商業に従事し、(それによって得た利益で)米穀を蓄えること。このような諸々の行為や、仏陀は大いなる慈心をお持ちであるから、生きとし生けるものを憐れんで、すべて先に挙げた物品を蓄えることをも(比丘たちに)許された」と。この様なことを述べる経典や律典は、ことごとく天魔の所説である」と。
すでに(仏滅後)七百年の後、波旬[パーピヤス]の勢力が次第に旺盛になることが(経典に)説かれているのだ。よって以下のように知られるのだ。仏滅後の七百年以降の比丘は、次第に(先に挙げた)八種の律で禁じられている物を求め、所有するようになると。以上のような(律蔵で仏陀が禁じられたようなことをむしろ推奨する)妄説をなすのが、すなわち天魔の教えである。『涅槃経』などの経典の中には、(仏滅後七百年などと)明確にその年代を説いており、詳しく(その時代における比丘たちの)儀式や生活の様子を明らかにしている。(そのように数々の経典に明確にされているのであるから)これ以上疑いを持つべきではない。ここでは仮に根拠となる一文を挙げただけであるが、その他の経典の所説も『涅槃経』に同じであることを知れ。
次に像法の時代の後半では、持戒の比丘の数は減少し、破戒の比丘の数が圧倒的多数となる。
この様なことから『涅槃経』の巻六にこのように説かれている。「仏陀は菩薩に説かれられた。「善男子よ、例えば迦羅林という、多くの(毒のある)迦羅の木が生えている林があるとする。この林の中には、ただ一本だけ違う(食べられる実のなる)樹が生えている。これを鎭頭迦[ちんとうか]という。この迦羅の樹と、鎭頭迦の樹との、その果実は非常によく似ていて、見分けることが出来ない。その果実が熟れる頃、ある女性が来て、それら果実をすべて拾い取った。(それら拾い取った果実の割合は)鎭頭迦の果実は一割、迦羅迦の果実は、九割であった。この女は(どれもが鎭頭迦の実であると思い、実はそれがほとんど迦羅迦の実であることを)知らずに持って帰り、市場に行ってそれらを売った。何も知らない子供が、双方の違いを見分けることが出来ずに、迦羅迦の実を買い、食べたところ死んでしまった。智慧ある者が、この事を知って、実を売った女に問いただした。「おまえはこの実をどこから、採ってきたのか」と。そこで女は、その場所を答えた。するとこれを聞いた人々は言った。「その辺りには、数え切れない多くの迦羅迦の樹が生えていて、ただ一本だけ鎭頭迦の樹が生えているだけだ」と。人々は(女が採ってきた実がほとんど迦羅迦の実であることを)知って、(女の無知を)笑って(女の採ってきた実をすべて)捨てさせたようなものである。善男子よ、サンガの中で、八不浄の物を蓄えることについても、これと同じことが言えるのである。サンガの中で、多くの者が先に挙げたような八種の律で禁じた物を蓄えているとしよう。しかしただ一人だけ厳格に戒律を守る比丘があって、そのような八種の律に違反する物を受領せず所有しない。(彼は)よく多くの比丘たちが戒律に違反する物を所有していることを知っており、しかしそれでも(彼ら非法の比丘たちと)比丘としての生活・行動を同じくして、サンガから離れることはない。(その持戒の比丘は)先に述べた(有毒の樹の生い茂る)林中にわずか一本ばかり生える(無毒で食べられる)鎭頭迦樹のようなものであろう」と」。
また『十輪経』にはこうある。「もし私の教えに従って、出家したにも関わらず悪行を行う者はあったとしよう。沙門でもないのに、自身をして沙門であると自称し、また(すべての性行為を離れる)梵行を行ってもないのに、梵行を修めていると自称する。この様な比丘でも、よく全ての天龍・夜叉に、あらゆる善法の功徳・地中に秘められた宝(に喩えられる教え)を掘り起こして、生ける者の導師となるであろう。小欲知足ではなくとも、ヒゲと髪を剃り、衣をまとう。この様な行為こそが起因となって(ヒゲ・髪を剃って衣をまとっただけの者でも)、よく生きとし生ける者をして、善なる行為をさらに行わせ、多くの神々や人々を、善なる道へと導くのである。および破戒の比丘で、これが死んだとしても、戒(をたとえ破ってはいても「戒を受けたという行為」)の余勢は、まるで牛黄[ごおう]のようなものである。牛が死んだとしても、人は(牛黄という有用で貴重なものが採れるから)これを重用するのだ。あるいは麝香鹿[じゃこうじか]が死んだ後でも(彼から採れた麝香が)有用であるようなものだ」と。
すでに迦羅林の中に、一本だけ鎭頭迦樹があるという喩えを見た。これは像法という時代の流れも衰え、破戒の比丘が世に満ちて、わずか一人二人の持戒の比丘が残っているようなものだと(『涅槃経』で)譬えられている。また破戒の比丘は、たとえば(僧侶として)死人(のようなもの)であっても、麝香が(それが採れる麝香鹿が)死んだとしても有用なものであると(『十輪経』で)譬えられている。死んだ(とされるに等しい状態になったとしても)後も有用であったならば、生きとし生けるものの導師と言えるのだ。(このようなことから)明確に知られるだろう。この(以上に挙げた喩えが適合する)時代では次第に破戒の比丘を世に福徳をもたらす聖者とするという説が、先に挙げた『大集経』の説と同じであることが。
次の像法の世が去った後には、まったく戒律の伝統は滅び去る。仏陀は(その教えが像法・末法と衰退していくという、いかんともしがたい)時運を知られていたので、末法の人々を導かんとして、(末法の世における)形ばかり名ばかりの僧侶を賞賛され、世に福徳をもたらす聖者とされたのである。
また『大集経』の巻五十二にこうある。「もし後の末世において、私の教えに従う者で、ヒゲと髪を剃り、身に袈裟をまとうだけの形ばかり名ばかりの比丘に対して、もし後援する者があって、信心して布施すれば、はかりしれないほど大きな福を得るだろう」と。
また『賢愚経』にはこうある。「もし仏教を信じ支援する者が、将来、仏陀の教えがまさに滅亡しようとしている時代、たとえ比丘が、妻をめとって子をもうけていたとしても、四人以上の(そのような)形ばかり名ばかりの僧侶たち(似非サンガ)を、尊敬して恭しく思うことは、(仏陀直々の高弟たる)舎利弗[サーリープッタ]尊者や、大目連[マハーモッガーラーナ]尊者を見るのに等しくあるべきだ」と。
また『大集経』にはこうある。「もし破戒・無戒の身であるにもかかわらず袈裟をまとって僧侶然とする者を打ち罵る罪は、万億の仏陀のお体を傷つけて流血させるに等しい。もし人あって、私の教えのために、ヒゲと髪を剃り、袈裟を身にまとったとしよう。(彼が)たとえ戒を受けて持つことがなくても、そのような者らは皆、涅槃を象徴して顕現するものである。この様な者はさらに諸々の人々や神々のために、涅槃へと至る道を示すのだ。この様な者は(仏陀・仏法・僧伽という)三宝に対して、心に畏敬・信仰の念を生じ、すべての九十五種の仏教外の思想・宗教(の思想家・宗教家)に勝る。この様な者は必ず速やかに至高の悟りを得て、あらゆる在家の俗人に勝るのだ。ただし在家信者で(あらゆる困苦・誹謗・中傷・迫害などに)忍び耐える徳を獲得した者には及ばない。このようなことから、破戒の比丘であっても神や人は尊敬して支援すべきである」と。
また『大悲経』にはこうある。「仏陀は阿難[アーナンダ]におっしゃられた。「私が滅度した後の末世において、私の教えが滅びようとしているとき、比丘や比丘尼は、私の教えを信奉する者として、出家したにもかかわらず、手に子供の腕をとって、一緒にそこかしこへと経巡り歩き、酒屋から酒屋へと渡り歩き、私の教えの信奉者でありながら、(性行為をなすなど)不浄な行いをなすことがあろう。(しかしながら)彼らに酒による過失・罪などがあったとしても、この現在の宇宙が存続する時間の中で、皆が完全なる悟りに得るに至るであろう。この現在の宇宙が存続する時間の間には、一千の仏陀が世に出るであろう。私(釈迦仏)は第四番目の仏陀である。次は弥勒[マイトリー]が、私の次の仏陀として世に出るであろう。そして最後に世に出るのは廬遮那[ヴァイローチャナ]如来である。そのような順序で次々と仏陀が世に現れるのだ。あなたは、こう知らなければならない。阿難よ、私の教えを信奉する者で、具足戒(二百五十戒)を受けて沙門(比丘)となった者でありながら、沙門としての行いをせず(比丘としての資格を失い)、しかしみずからを沙門と称する、外見は沙門のようにヒゲと髪を剃っており、袈裟をまとう者があるだろう。この現在の宇宙が存続する時間の中で、弥勒を上首とし、さらには廬遮那如来を上首として、形ばかり名ばかりの諸々の沙門は、次々に現れる仏陀が、その生涯を終えて滅度されるとき、次第に悟りを得て、一人として悟り残すことはない。その所以[ゆえん]は、形ばかり名ばかりの全ての沙門の中で、一度でも仏陀の御名を唱え、一度でも信仰心を生じさせた者の、その功徳は、決して虚しいモノとはならないからだ。(このように言うのは)私が仏陀としての智慧をもって、全世界を知り抜いているからである」と」と。
『維摩経』にはこうある。「仏陀の(「如来・応供[おうぐ]・正遍知[しょうへんち]・明行足[みょうぎょうそく]・善逝[ぜんせい]・世間解[せけんげ]・無上士[むじょうし]・調御丈夫[ちょうごじょうぶ]・天人師[てんにんじ]・仏世尊[ぶつせそん]」という十の異称・敬称である)十号の中で、初めの三つを聞くことの功徳について、仏陀がもし詳細に説かれたとしたら、億万年以上の時を経ても語り尽くせないであろう」と。
(今までに挙げた)これら諸々の経典では、すべて(それが仏滅後、幾年を経ての事であるかの)年代を特定して、(像法・末法という)未来に現れる形ばかり名ばかりの比丘を、世の導師としている。もし正法の時代の(サンガや比丘についての)禁則・規定事項をもって、末法の時代の形ばかり名ばかりのサンガや比丘について規制しようすれば、教えと時機とがそぐわず、人と規則とが噛み合わないであろう。このようなことから律にこう説かれているのである。「仏陀が規制されなかったことを(後代の比丘たちが)規制すれば、その規制が(仏陀がお備えになっている「宿命[しゅくみょう]明・天眼[てんげん]明・漏尽[ろじん]明」という)三つの智慧に・・(?)・・」と。これがどうして罪でないことがあろうか。」
以上経典を引用して論拠としてきた。後は「教え」(宗派の教義)と照らし合わしてみれば、末法の世に至れば(真理からして)必然的に正法が損なわれ滅するのである。(人の行為を三種に分類した身体と言葉と心との)三業は善悪のどちらでもなくなり、(行住坐臥の)四威儀は乱れるであろう。
たとえば『像法決疑経』にこう説かれている通りである。「もしある人があって、仏塔や寺院を造営し、三宝を供養したとしても、しかしその心には敬意はない。僧侶に接待すると約束して寺院におりながら、飲食や衣服・湯・薬を供養しない。むしろ逆に(僧侶に)せがんで、僧侶のために用意された食事をむさぼり喰らう。出自の貴賤を問わず、もっぱらサンガに対して、不利益な行為をなし、侵害して秩序を乱そうとする。このような者は、永く(地獄・餓鬼・畜生という苦しみ多大なる境涯たる)三途の世界いずれかに生まれ変わってそれ以外の境涯には生まれ変われないであろう」と。
いま世俗の社会を見てみると、さかんに『像法決疑経』に説かれているような事が行われている。これは時勢として仕方のないことである。人に過失があってこのような事態になっているのではない。(在俗の信者で寺院や僧侶などに経済的支援をする)施主にもすでに施主としての(本来持つべきであろう)信仰などないのだ。誰が僧侶に僧侶としての行業が欠落していることを非難できるというのか。(在家の人々も悪いのであるから、出家者が悪かったとしても非難する資格などないのだ。)
また『遺教経』にこう説かれている。「(比丘が)一日でも車や馬に乗って移動することがあったならば、五百日間は在家信者から食事の招待を受けてはならない」と。現在の僧侶の惨憺たる状況で、どうして持戒してその徳を表すことが出来るというのか。(出来るはずもないのである。)
また『法行経』にはこうある。「私の出家の弟子ありながら、もし在家信者から指名されての食事の招待を受けた者は、国王の領地を移動してはならない。国王の領地に湧き出る水を飲んではならない。五百の大鬼が、常にその行く手を遮り、五千の大鬼が、常に後ろにあって「仏法の大賊」と罵るであろう」と。
『鹿子母経』にはこうある。「五百人という阿羅漢達を(それぞれ指名して食事に招待する)別請[べっしょう]したとしても、これは福徳を生じる善行とは言えない。もし一人でも(指名することなく食事の招待をしてやって来た)僧侶としての行業を全く備えない似非比丘に食事を接待したとしたら、計り知れない功徳となる」と。
現代の僧侶たちは、すでに(在家信者から指名されての食事の招待である)別請されることを望んでいる。(福田たる僧侶たちがこのようであるから在家信者は)どうやって功徳を積もうというのか。持戒の比丘が、どうしてそのような振る舞いをするであろうか。(持戒の比丘であれば、別請を好むなどということはあってはならないであろうに。)(『法行経』に説かれるように、別請を受けた者は)国王の領土を行けず、また国王の領土に湧き出る水を飲むことも許されず、五千の大鬼から、大賊だと罵られるであろう。嗚呼、(別請を望む過失ある)「持戒の比丘達」は、どうやってその過ちを改めるというのか。
また『仁王経』にはこうある。「もし私の弟子で、国家によって使役される者は、皆わたしの弟子などでは無い。(国家が)大小の(サンガや僧侶たちを管理する為の機関である)僧統[そうとう]を設けて、監視・管理する、という様な時代が来れば、仏法は滅亡するであろう。国家が仏教を管理・監視することは仏法を滅亡させ、国を滅ぼさせる原因となる」と。
『仁王経』などの所説から推察すると、サンガを監視・管理する機関の存在を容認して、その管理下に甘んじることは、サンガを分裂させる卑しい行為である。あの『大集経』などには、無戒の僧侶を名付けて、世を救う宝としているのだ。どうして国を食い尽くすイナゴを保護して、むしろ家を守る宝を捨てるというのか。
是非とも持戒・破戒などと僧侶を二類にわけず、たがいに仏法という美味を食して、比丘・比丘尼の伝統を滅ぼさず、寺院の時を告げる鐘の音を絶やしてはならない。であるから末法における仏の教えは、国を安泰にさせる道としてそぐうものとなるのだ。
底本:天台宗宗典刊行会編『伝教大師全集』第三
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