真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

現在の位置

五色線

ここからメインの本文です。

‡ 律の成立

・ トップページに戻る

1.律の成立

二百五十の条項

律には、二百五十戒などと言われるように、およそ250項目の禁止事項があります。

しかし、250項目ある、と言いましても、釈尊が悟りを得て仏陀となり、教団を形成しだしたその当初から、今ある250条項のすべてが定められていた、というわけではありません。以下、そもそも律は一体なにを目的として、また如何にして成立していったものであるかを、律について説かれている律蔵にある記述に従って紹介します。

ただし、律蔵には、伝持してきた部派を異にする六種の別があり、それぞれの律蔵で使用している語句や因縁譚などに若干の異同があって、それらを並列的に記すと理解に混乱をきたすおそれがあります。そこで、ここでは中国・日本に縁の深かった『四分律』に基づき、律の成立の目的とその次第の初めについてを記しています。

・ 目次へ戻る

・ 戒律講説へ戻る

2.随犯随制

次第に定められた律

律は、釈尊の出家した弟子の中で、悟りを求めて出家した修行者にあるまじき行為をしたり、出家者の集団組織である僧伽に混乱をきたしたとき、または社会から批判・批難される行為があったりした場合に、随時定められていったものです。

これを一般に、「随犯随制(ずいぼんずいせい)」と言います。

『四分律』序文より

この「随犯随制」については、『四分律』の序文(『四分律』巻一「四波羅夷之一」・『大正新修大蔵経』22巻.P568下段)に説かれている出来事から知ることが出来ますので、若干長くなりますが、以下にその出来事の概要を示しておきます。

・ 目次へ戻る

・ 戒律講説へ戻る

3.律制定の因縁譚

律が制定されるに到るまで

シューラセーナでの安居
蘇羅婆(シューラセーナ)という国から、釈尊と五百人の比丘達が、毘蘭若(ウェーランジャ)という土地に遊行してきた時のことです。かねてから釈尊の名声を聞いていた婆羅門(バラモン)の毘蘭若(ウェーランジャ)は、一度その話を聞いてみようと釈尊のもとを訪ねます。そして、釈尊の説法を聴いて感激した毘蘭若は、その場で在家仏教信者となります。
そこで毘蘭若は、比丘達は「安居(あんご)」といって雨期の三ヶ月間を一定の場所に止住して過ごさなければならないのですが、その安居を当地で行って下さい、と釈尊に請うたのでした。この申し出は、毘蘭若がその三ヶ月間、釈尊ならびに比丘達に対して食事などの供養一切をする、ということを意味する約束でした。
供養を忘れたウェーランジャ
釈尊は、毘蘭若の申し出を受け入れ、五百人の比丘達と共に、その地にとどまって安居されます。しかし、なんということか毘蘭若は、自分からの申し出であったにもかかわらず、比丘達への食事の供養をまったく行わなかったのです。
『四分律』では、これは魔波旬(まはじゅん)、つまり悪魔パーピヤスの仕業であった、と伝えています。ようするに、毘蘭若は、それをすっかり忘れてしまっていたのです。
馬飼いの布施
悪いことに、その年は飢饉であっために托鉢は容易でなく、比丘達は満足に食事を得ることすら出来ませんでした。
ちょうどその頃、波離国から五百の馬をつれた馬飼いの人が、この地を訪れていました。その馬飼いは、飢饉の中で托鉢も思うようにならない比丘達を見て気の毒に思い、馬の餌としての粗悪な麦を、比丘達に布施します。釈尊ならびに比丘達は、その麦によって、かろうじて飢えをしのぐことが出来ました。が、しかし、やはりそれだけでは栄養も足りず、比丘達は憔悴していったのです。
退けられたモッガーラーナ尊者の提案
このいかんともし難い状況を打開せんとして、目連(モッガーラーナ)尊者は釈尊に対し、神通力によって食料を得ることの許可を求められます。しかし釈尊は、それは将来的にも人々を迷わすだけであるから、そのようなことはしてはならないと制止されるのでした。
サーリープッタ尊者の疑問
その様な頃、舎利弗(サーリープッタ)尊者は、冥想に適した閑かな場所で、「過去には6人の仏陀がいたが、そのうちのどの仏陀が清らかな修行をして(その仏陀が滅度した後も)仏法が世に長く行われ、どの仏陀が清らかな修行をして(その仏陀が滅度した後に)仏法が長く世に行われることがなかったのだろうか?」という疑問について考えていました。尊者は、その答えを釈尊に求められます。
過去の六人の仏陀
舎利弗尊者の問いに対して釈尊は、「毘婆尸(びばし)仏・式(しき)仏・拘留孫(くるそん)仏・迦葉(かしょう)仏は、その滅後も仏法が久しく世に行われたものの、随葉(ずいしょう)仏と拘那含(くなごん)仏は、滅後すぐに仏法は行われなくなった」と答えられます。
その原因については、「随葉仏と拘那含仏の二仏は、教えを様々に巧みに説法することをせず、また、戒律を制定し、戒律を説くことをしなかったためである。それは、花を机の上にちりばめて置いても、風が吹いたならば、飛んで散り散りになってしまうようなものである」
「しかし、毘婆尸仏・式仏・拘留孫仏・迦葉仏は、弟子達に対して様々に、そして巧みに説法し、戒律を制定し、戒律を説いたために、仏滅後も仏法は長く世に行われたのだ。それはまるで、花を糸によって貫いて花輪にしておけば、机の上にあって風が吹いたとしても、その花々が飛んで散り散りになることはないようなものである」と、譬喩を交えて答えられています。
退けられたサーリープッタ尊者の懇願
そこで、それを聞いた舎利弗尊者は、釈尊に対し、「では今こそ、比丘達の為に戒律を定め、戒律をさまざまに説き、清らかな行いを修め、仏法を末永く世に行われるようにして下さい」と懇願されます。
しかし、釈尊は、舎利弗尊者の請いをただちに退けられます。「仏陀である私は、物事に適った時機というものを知っているのだ。いまだ比丘の中には、煩悩による悪しき行いをなす者がいない。もし誰か悪しき行いをなす者が現れれば、その時にこそ戒律を制定しよう。悪しき行い、煩悩を断つことを目的とする為に」と。

・ 目次へ戻る

・ 戒律講説へ戻る

4.律制定の目的

仏陀の態度

以上のように、「随犯随制」とは、律を制定する上で釈尊みずからが示されていた、基本姿勢でありました。

釈尊は、律というものがあってこそ、仏陀の教えはその滅後も維持されるものではあるけれども、しかし、比丘達が何か悪い行いをなすに違いないという前提・予測のもとに、先行して具体的な禁止規定をするようなことはしない、という仏陀としての態度を明確にされているのです。

明確な目的

また、釈尊は、実際になにか一つの律を制定するにあたって、具体的に十の項目を挙げ、それがどの様な目的でなされるかを明確にされています。

『四分律』の言葉で「十句義」、「パーリ律」では「十利」といわれるものが、それです。以下に、律制定の目的とする十の項目を、『四分律』にある記述に従って、その読み下しと訳文を併記しておきます。

十句義

一には、僧を摂取(しょうしゅ)す。
(僧侶達を和合させ導く)
二には、僧をして歓喜(かんぎ)せしむ。
(僧侶達を心軽やかにさせる)
三には、僧をして安楽ならしむ。
(僧侶達を安楽にさせる)
四には、未信の者をして信じせしむ。
(いまだ仏教を信仰していない人をして、信仰の念を起こさせる)
五には、已信の者をして増上せしむ。
(すでに仏教を信仰している人をして、さらにその信仰を深めさせる)
六には、難調の者をして調順ならしむ。
(自らでは悪行を制するのが困難な者の悪を制し、従順にさせる)
七には、慚愧(ざんき)する者をして安楽を得。
(自他に対して恥を知る者は安楽を得る)
八には、現在の有漏(うろ)を断ず。
(現在の自らの煩悩に基づく行為を制する)
九には、未来の有漏を断ず。
(未来に煩悩の起こることを制する)
十には、正法(しょうぼう)の久住(くじゅう)することを得せしむ。
(仏陀の教えが、正しく伝えられ、長くこの世に留まって行われるようにする)

仏教を後世につたえるため

律が制定されるのは、第一に苦しみの生存の止滅、輪廻からの解脱、大いなる平安を目的として出家した僧侶をして、その修行生活が「目的を達成する上で」安楽で心やすいものであるようにするためであり、また、生活面でのすべてを支えてくれる在家信者からの信頼と信仰を得て、それを持続するためです。

そして、先に見た随犯随制のエピソードと、この十句義であげられた内容からすると、律制定の主眼とすべき点は、仏陀の入滅によってたちまち僧侶達が堕落して仏教が消滅せず、仏教が末永く社会で信仰され実行されることを目的としてしている、ということでしょう。

このような視点からすれば、「僧侶が律を保って実行している期間=仏教が正しく行われている期間」と換言することが出来るのです。

・ 目次へ戻る

・ 戒律講説へ戻る

5.律蔵を編纂

二百五十項目に達した律

「随犯随制」という律を定めるにあたっての基本姿勢を、釈尊が示されてのち、実際に数々の比丘達によって出家者にあるまじき悪しき行い、社会からの批判を浴びる行いが次々となされていきます。そして、釈尊は「随犯随制」という基本姿勢通り、その都度「十句義」の一々を挙げて、それを禁止する事項を制定されていったのです。

律の規定の一々は、このような経緯によって随時成立していったものなのですが、釈尊が涅槃されるまでには、その数およそ250項目にまで達していました。

第一結集

ところが、釈尊が亡くなった直後、「悲しむことはない。細かくうるさいことを言う者がいなくなって清々したではないか。これからは自分達の自由にやろう」などと、その死を喜ぶ比丘が現れてしまいます。この発言を聞いたことによって、仏教が頽廃を危惧した摩訶迦葉(マハーカッサパ)尊者は、釈尊の言動を集成して後世に伝えるために、自らが主導者となって五百人の阿羅漢(あらかん)を招集します。

そして、釈尊の教えや言動録などは阿難(アーナンダ)尊者を中心に、僧侶の禁止事項や行為規定などについては優波離(ウパーリ)尊者が中心となって、その記憶しているところを五百人の阿羅漢に対して表掲し、間違いのないことを全員で確認したのちに、それぞれを経蔵・律蔵・論蔵に分類して、伝持することを決定したのです。

この出来事は「第一結集(だいいちけつじゅう)」と言われ、その後の仏教のありかたを決定づけた、大変重要な出来事です。

・ 目次へ戻る

・ 戒律講説へ戻る

6.花輪の糸

日本仏教−戒律=日本教

ここからは、まったくの余談となりますが、先ほど述べた「僧侶が律を保って実行している期間=仏教が正しく行われている期間」ということは、戒や律などの名目だけは辛うじてとどめているも、実質的には戒も律も消滅して跡形もなくなっている、現在の日本仏教界全体をひいき目なく眺めてみれば、たちまち現実のものとして首肯できることのように思われます。

現在の日本仏教は、むしろ「日本教」と呼称し、「日本教」と表記したほうが妥当であるほど、釈尊の説かれた教えとは程遠い異質なものとなっています。 今の日本仏教には、仏陀の教えなど滅び去って無い、と断じて差し支えない状況なのです。

実利的にこそ

しかしながら、そのような日本の仏教に期待する人は、なかには見当違いの期待をかけている者も少なくないようですが、現代にもいまだに大勢あるようです。

といっても、仏教に期待を掛けていると言うならば、無常・苦・無我・空などといった仏陀の説かれた教えを実利的にでなく、漠然と観念的・思弁的に捉えてその世界に酔いしれ、人間ブッダ・○○上人または○○大師だのの賛歌をピーピーさえずるだけという如き、ありがちの愚を犯してはなりません。

まず、積極的に仏教を実践する上で大前提となる、戒と律との遵守を僧尼側に求め、みずからも実行しなければ、ついに仏教が実効性をもったものとはならず、結局その期待は空しいものとなるだろう、と言えるからです。

戒と律とは花輪の糸

もちろん、これは戒や律がすべてである、などといった主張ではありません。また、戒や律を守っている人はエラい、守っていない者はエラくない、などという見当違いの主張でもありません。

戒と律とは、僧侶としての前提であり条件であり、解脱という目的を達するための強力な、そして不可欠の補助であるからどうしても実践されなければならないが、今の日本にはそれが完全に欠け失われているから、それをまず回復しなければならない、と言っているに過ぎないのです。

仏の教えは美しい花です。この花を、風が吹いたことによって散り散りにさせないようにするためには、その花を、戒律という強い糸で通し、しっかりとまとめなければならないのです。

・ 目次へ戻る

・ 戒律講説へ戻る

・ トップページに戻る

メインの本文はここまでです。

メニューへ戻る


五色線

現在の位置

このページは以上です。