真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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‡ 2006年10月18日(水曜日)

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1.怨みなくして怨みを除く

怨みに軽重なし。皆報ずるに足らず。
怨みをもって怨みに報ずれば、怨み終(つい)に除かず。
ただ怨みなくして怨みを除くあるのみ。

[意訳]
怨み憎しみの念に、(程度の)軽い重いの差はない。すべて晴らすに値するものではないのだ。怨み憎しみの念をもって、怨みに報いれば、いつまでも怨み憎しみの連鎖が途切れることなく続いていく。
ただ怨み憎しむことを止めてこそ、怨み憎しみの連鎖(そして、それから起こる数々の苦しみ)から解き放たれることが出来るのである。

『四分律』(『大正新脩大蔵経』22,P881上段)[原漢文]

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2.解説

不変の真理

上の言葉は、パーリ語経典『ダンマパダ』や漢訳経典『法句経』にても説かれている、仏教徒の中でもっとも有名といえる言葉の一つです。

そして、これは、仏教徒ではなくとも、経験的に普遍の真理として承認され得る言葉と言えるでしょう。怨みに対して怨みをもって対すれば、たちまち泥沼の憎悪の連鎖、とぎれることのない暴力の応酬となっていくことを否定することは、歴史は許さないと言えるからです。

憎悪・暴力の連鎖を断つために

しかし、悲しむべきことに、これを真理として受け入れている国あるいは人は、現実を見るかぎり極めて少なく、よって世界から争いが絶えることは決してありません。

世界には様々な宗教・文化、歴史があり、よってそれぞれの世界観・価値観があります。ですから、仏教徒にとっては真理であり、現実として経験的にも真理であると承認出来ることについても、それを受け入れることが出来ない国や地方はたくさんあるのです。

それは国家レベルだけの話ではありません。一応、「暴力の連鎖」ということを知ってはいても、個人生活レベルにて、相手がどのような者であれ、怒り憎しみの念を募らせてその思いのまま行動し、発言する人のどれほど多いことか。

それがどれほど小さなものであっても、怒り憎しみ、ひいては悪しき欲望、傲慢の延長線上に、戦争があるのだということを、私たちは知らなければなりません。戦争反対や平和を叫ぶならば、普段の生活においても、人は怒りや憎しみを捨てるよう努力しなければならないのです。

ジュニアス・リチャード・ジャヤワルデス氏の鴻恩(こうおん)

ところで、この言葉は、日本人ならば特に心に刻んで忘れてはならない言葉の一つでもあります。太平洋戦争に敗れた敗戦国日本の処遇をめぐり、1951年に開かれたサンフランシスコ講和会議の席上で、この言葉を引用して、日本への賠償請求権を放棄し、さらに日本に対して戦後賠償問題に関して日本の分割を主張するなど強硬な姿勢を見せていた、ロシアなどを諫めた国があったのです。

それは、セイロン(現スリランカ)です。実際にこの言葉を語ったのは、故ジュニアス・リチャード・ジャヤワルデス前スリランカ大統領(当時蔵相)です。この発言によって、会議に出席していた吉田茂氏はどれほど救われたことでしょう。

この発言の裏にはインドやスリランカをとりまく政治的状況からの思惑があったことではあるでしょう。しかしそれでも、日本は国として、スリランカに、ひいては仏陀のこの金言に、大変な恩義があると言えるのです。

法楽寺サイト制作・管理者 婆塞 覺應

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