真言宗泉涌寺派大本山 法楽寺

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1.開経偈

原文

無上甚深微妙法 (むじょうじんじんみきょうほう)
百千万劫難遭遇 (ひゃくせんまんごうなんそうぐう)
我今見聞得受持 (がこんけんもんとくじゅじ)
願解如来真実義 (がんげにょらいしんじつぎ)

読み下し文

無上(むじょう)甚深(じんじん)微妙(みみょう)の法(ほう)は、
百千(ひゃくせん)万劫(まんごう)にも遭(あ)い遇(あ)うこと難(かた)し。
我(わ)れ今(いま)見聞(けんもん)し受持(じゅじ)することを得(え)たり。
願(ねが)わくは如来(にょらい)の真実義(しんじつぎ)を解(げ)せん。

現代語訳

最高にして深遠な(仏陀の説かれた)真理には、
どれほど生まれ変わり死に変わりしても巡り合うことは難しい。
しかし私はいま(仏教に)出会ってその教えに触れることが出来た。
願わくは仏陀の説かれた真理を体得したい。

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2.解説

開経偈とは

「開経偈(かいきょうげ)」は、日本の様々な宗派で、経典を開くとき、つまり経典を読誦(どくじゅ)するときに用いられる、作者不詳の偈文(げもん)です。よって、「開経偈」は、厳密に言うと、経典・経文などではありません。

ちなみに、偈文とは、一定の文字数に制限するなどして、詩のような体裁にして書かれた文章のことを言います。

仏教を賛嘆する言葉

「無上甚深微妙法」の、「無上」は「この上ない」、「甚深」は「甚だ深い」、「微妙」は「繊細(せんさい)で奥深い」という形容詞です。それぞれが、仏教を意味する「法」を形容し称賛する言葉です。

要は「すばらしく、そして奥深い仏の教えには」との意です。

無限の時

「百千万劫難遭遇」の、「百千万劫」は、ほとんど永遠とも思えるような、長大な時間を表す言葉です。「劫(こう)」とは、その時間の単位にあたります。これがどれほどの時間を表すかについて、有名な譬(たと)え話が経典に説かれています。

「幅・奥行き・高さが7.4qの城壁、つまり一辺7.4qの立方体の中に、芥子粒(けしつぶ)を満たし、それを百年に一粒ずつ取り出すとして、それが全部無くなってもまだ一劫(いっこう)は終わらない」(『雑阿含経』)というのがそれです。

そのような長い時間が、「百千万」ですから、すでに我々の想像を超えた時間だと言えます。

遭いがたい教え

つまりここでは、「気が遠くなるほど長い時間を、生まれ変わり死に変わりしていても、めぐり逢うことは難しい」と、いっているのです。余談ながら、「〜するのが面倒」を意味する「億劫(おっくう)」という言葉(ことば)がありますが、これはこの仏教の時間感覚から生まれた言葉です。「劫」が「億」あるのですから、面倒どころではありません。

「我今見聞得受持」は、「(しかし、)私は今、仏教を見て、聞き、その教えを保つことができるようになった。」と、めぐり逢うこと自体が非常に難しいと言える仏教に、出会えた事への言葉です。

悟りへの願い

「願解如来真実義」の、「如来(にょらい)」とは仏陀の別称です。仏陀には様々な呼び名があるのです。

「真実義」は仏陀が説かれたことの真意、仏教の核心・悟りを意味します。それを「願わくば解せん」ですから、「願わくは、仏陀の説かれた教えを理解、体得しよう」ということになります。

「開経偈」とは、経文を読み唱えるにあたり、自身が仏教に出会えたことへの喜びと、自分が悟りを求め、得ようと欲している事の表明文であると言えるものです。

法楽寺サイト制作・管理者:婆塞 覺應

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